阿部ブログ

日々思うこと

越中島練兵場 と 君が代

2013年06月11日 | 雑感
越中島には、江戸幕府が「講武所附縦隊調練場」をつくり、砲術 調練場、武術調練場として使っていた。維新後も明治政府が「越中島練兵場」として継続利用した。
                   
この越中島の練兵場には明治天皇も行幸し、天覧調練がおこなわれている。既に練兵場の面影はないが、唯一橋の名前に残っている。「練兵衛橋」。
               コレだ↓
                     

この越中島の練兵場は、日本国歌「君が代」が初めて演奏された地との事。何でも当時横浜のイギリス公使館警衛のために駐屯していたイギリス陸軍歩兵第11大隊付軍樂長のジョン・ウィリアム・フェントンが作曲したと言われている。
歌詞は、今我々が知るものと一緒。古今和歌集第七巻「賀歌の部」にある「我が君は 千代に八千代に 細石の 巌となりて 苔のむすまで」。

しかし、国歌の作曲者が外国人では問題との事で、歌いにくいなど理由を付けてフェントン作曲の「君が代」は1876年(明治9年)の天長節に廃止となった。でも、日本の国歌が演奏されたのは、フェントンの「君が代」で、越中島で閲兵中の明治天皇の御前だった。時に明治3年9月8日。これに先立つ4月17日に駒場で演奏されたとの記録もあるようだが、「君が代」だったのかは?? 

日本の国歌「君が代」の演奏の地として当時の深川区の皆さんが、今の相生橋脇にある50坪の土地を、東京高等商船学校校庭一部を文部省から無償提供してもらい「明治天皇聖蹟」を建立した。この碑は、ラッパと太鼓を模した台石の上に稲田産花崗石に、近衛文麿公爵の揮毫「明治天皇聖蹟」を彫り込んで、1944年(昭和19年)6月7日に除幕式が挙行された。
                       
深川区の皆さんは、本当は「君が代初吹奏之地」としたかったが、内務省から前述の「明治34月27日に駒場野で初吹奏云々と海軍省の記録にあるから、9月8日の初吹奏は許す訳にいかぬ」と指摘されたりし、また当時の混迷する国内状況も鑑みて「明治天皇聖蹟」に落ち着いたようだ。
因みに「軍楽隊発祥地の地」と国歌「君が代」及び「日本吹奏楽発祥の地」は横浜の 妙香寺らしい。

最後に明治天皇聖蹟碑にはこう↓書いてある。
『明治天皇聖蹟の碑
明治3年(1870)9月8日調練 御親閲の為當越中島に 行幸遊はさる猶明治5年(1872)9月15日近衛三兵の操練を 天覧の為同6年(1873)12月9日陸軍練兵 天覧の為同8年(1875)6月7日海軍大砲試験 天覧の為 行幸あらせらる
 紀元2千6百年記念建設
 昭和18年(1943)11月3日竣成
 発起 梁川區町会聡合会
 協賛 東京都内国民学校児童
    東京都内中等学校生徒』

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