阿部ブログ

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『四川チベットの宗教と地域社会』を読む

2016年03月05日 | 雑感
『四川チベットの宗教と地域社会』は、四川省のシャルコックのボン教に関するフィールドワークを集成した小西健吾氏による労作である。シャルコックは有名な九寨溝に隣接する地域でチベット高原東部に位置する。この地は、昔から中華漢民族とチベット族が接する前線であり、両民族から見て辺境の地である。
ボン教は、「永遠なるボン(ユンドゥン・ボン)」の教えが起源で仏教伝来以前のチベットにおける土着の宗教であり、シャキャムニよりもずっと古い歴史を誇る。一見するとボン教の僧侶と仏教の僧侶とは区別がつかないが、ボン教は仏教の良いところは自らに取り込むという柔軟性を持ち合わせており、ニンマ派と共にゾクチェン(Dzogchen)の教えを伝承してきた貴重な宗教である。そのボン教をその分かりやすく解説しているのが、恐妻家・高藤聡一郎の『神秘!チベット密教入門』だ。一読をお奨めする。
この本は、道教の仙道と仏教の密教の修行を比較し、自分の経験を踏まえて融合しているところがユニーク。台湾の仙道家・因是子が密教を学ぶ困難さを描いている部分があるが、教えを受けるために複雑な観想と10万回真言を唱えるのは実に大変だ。出家してるのならともかく、日常生活を送りながら行うのは苦行に他ならない。それと密教は灌頂を授からなければ、その行を実践することは出来ない。無間地獄に堕ちると言われる。しかし、ボン教にはそんな縛りはない。道教の仙道も然り。しかしながら、正しい先生に教えてもらう必要は同じ。高藤は、結果として密教も方法さえ選べば独習が可能だと結論付けており、その方法を細かに書いている。『神秘!チベット密教入門』に書かれている方法をマスターしたら、次は「秘伝!チベット密教奥義」を読めとある。この本は、仙道と密教の方法を融合したテクニックが満載だ。

『四川チベットの宗教と地域社会』で一番興味深いのは第6章の「人びとを巻き込む宗教実践」だ。この章では「ゴンジョ」について描かれている。ゴンジョとは、本格的な瞑想修行に入るために必要とされる前段階のある種の訓練である。『ボン教の楽しい宝箱』によれば、ゾクチェンなど本格的な教えを学ぶにはゴンジョ、即ち加行を完遂する必要があるとし、①発菩提心、②帰依と③五体投地、④⑤⑥三種の真髄のマントラ、⑦百音節真言、⑧曼荼羅供養、⑨グルヨーガの9種類をそれぞれ10万回行うので、ブム・グ(90万)と言われるとある。『四川チベットの宗教と地域社会』では、「ゴンジー・ブング」(ゴンジョの90万)とあり、同書245ページには、ゴンジー・ブングの詳細が掲載されている。ゴンジョは、大麦の刈り取りが終わった農閑期の10月から12月にかけて行われる。10月は、ゴンジー・ブングについてボン教の僧侶が講話し、各自自宅で実践する。五体投地やマントラを日常の様々な場面で唱え続けるのである。12月に入ると後述するマンテーが行われる。これは穀物を仏・菩薩・護法神に捧げる功徳を積む修行。ゴンジョはチベット人であれば生涯に一度は行うと言われている。

加行の最初は、セムジェと呼ばれる発菩提心。この詠唱文は『ボン教の楽しい宝箱』の音源と一緒。ジャブジョは帰依で『四川チベットの宗教と地域社会』のマントラは『ボン教の楽しい宝箱』の音源とは一致しない。次はニンポー・ナムスムで三種の真髄マントラ。「マティ」と「ドゥティス」は、『ボン教の楽しい宝箱』と同じだが、残りの真言には冒頭の「アー・オーム・フーム」はない。これは『ボン教の楽しい宝箱』の真言は仏教の影響を受けている真言を掲載していると思われる。元々は「ゴンジー・ブング」の真言が原型だろう。ディビッド・スネルクローブの『ヒマラヤ巡礼』の67ページにはボン教について書かれており、その真言が書かれている。即ち「ア・ア・カル・サレド・ア・ヤング・オム」とある。
因みにチベット仏教では「オーム・アー・フーム」と唱え、ボン教は「アー・オーム・フーム」と唱える。また、聖なるカイラス山の巡礼では、仏とは教徒は右回りだが、ボン教徒は、左回りに回る。「まんじ」も仏教の卍は時計回りだが、ボン教は逆卍を使う。これはナチスドイツのシンボルと同じ。この手の違いは本質的なものではないと思う。

さて、次はシャと呼ばれる五体投地。これはセムジェやジャブジョの真言を唱えながら行う。10万回の五体投地は大変だ。
マンテーは、立体マンダラに穀物を捧げ功徳を積むもので、特別な「マンダラ供養台」という道具を使う。この供養台を左手に持ち供物を捧げ、右手で供養台の表面を清める。これも10万回を行う。マンダラ供養台は『ボン教の楽しい宝箱』の「⭐ダルマ・ショップ⭐」をご参照。
イクジャは、百字音節真言。この真言は長い。チベット仏教では金剛薩埵の真言に相当するか? 金剛薩埵の真言は、中沢新一の『虹の階梯』をご参照。
ラメ・ネンジョルは、グルヨーガと呼ばれるもので、『虹の階梯』においては10万回どころか、1000万回以上行う修行を行う必要があるとある。ソギャル・リンポチェの『チベットの生と死の書』には、ドゥジョム・リンポチェの言葉を引用してグルヨーガの重要性を強調している。

「あらん限りのエネルギーをグルヨーガに注ぎ込むことこそが肝要なのだ。それを命と修行の核心とたのむことだ。さもなければ、あなたの瞑想はどんよりと曇った弛緩したものになる。たとえ若干の進捗があったとしても、障害はきりもなく前方に立ちふさがり、真の悟りが、本物の悟りが心の中に生まれる見込みはない。だから巧まざる敬信の心で一心に祈ることだ。そうすれが、やがて師の智慧の心の加護が、比類なき悟りとなってあなたを力で満たし、言葉をこえて、あなたの心深くに伝わってくる、生まれてくる」。

ドゥジョム・リンポチェは、グルヨーガこそが、生におけるもっとも重要な修行であり、それゆえ、死の瞬間におけるもっとも重要な行になると書いている。死は悟りを開く最高のチャンスだとも。つまり、グルヨーガは、ポワの行、すなわち死の瞬間の意識の移転の基礎なのだ。『四川チベットの宗教と地域社会』でも、ゴンジョの最終段階では、ポアの修行が行われる。ポアはゴンジョには含まれないが、死後、良い転生を得るためには必須の身体技法なので実践される。

『四川チベットの宗教と地域社会』に書かれているゴンジョは、アティと呼ばれるゾクチェンの系譜の教え。ボン教のゾクチェンには、①アティ、②ゾクチェン・ヤンツェ・ロンチェン、③シャンシュン・ニェンギュ、④イェティ・ターセルなどの系譜があるという。森孝彦訳の『智慧のエッセンス~ボン教のゾクチェンの教え~」には、イェティ・ターセルの経典が引用されている。

「究極的なゾクチェンの見解に従えば、何も取り除く必要はない。何かに固執する必要もない。なぜならば、ゾクチェンは段階的な過程や結果のプロセスを辿らないからだ。内外二つの見解に対する執着は、自発的に解き放たれてゆく。ゾクチェンの見解は、主体も対象も、成果を得ることも穢れを取り除くことも超えている。ゾクチェンの見解は、最も優れた修行者の智慧である」。

『四川チベットの宗教と地域社会』で実践されるゴンジョは、ニェンギュ(口伝やビジョンの伝達)によって伝えられてきた秘儀性の高いシャンシュン・ニェンギュの系譜で、ボン教独自の見解が多く含まれるの特徴とある。過去の修行者が積んできた知識や経験、技法を行者が実践し、伝承してきたもので、これが前述のニェンギュである。これを出家していない一般人が実践できるようにしたゾクチェンの系統が「アティ」である。アティは、メウ・ゴンゾ・リトーチェンポが説いた教えが最初で、シェンラップ・ミボのト・ギュと言う体系に、自信の霊感から得られたテルマ(埋蔵経)を加えて、独自の教えを確立した。これを体系化したのが、ドゥ・ギェルワユンドゥンで、ゴンジョを含むアティ・トゥンツァム・チョンガ(アティの15のセッション)に整理したとある。
『四川チベットの宗教と地域社会』のゴンジョの基本テキストは、アティのゴンジョを説いた「カルン・ジャムツォ」とダトンツンパ・ガゾンテンジェーのテキストを合わせてつかっているとある。ダトンツンパ・ガゾンテンジェーのテキストは、真言の意味や細かな技法が丁寧に説明してあるようで、あまり普及していないテキストだが併用することにしたのだ。しかし、普及しない理由もあって、正式に出版されていないこともさることながら、この教えを説くためには「ルン」の口頭伝授が必要らしく、ルンを実践している行者や僧侶も少ないことから、やろうにも出来なかったのだ。しかし、ルンの伝授を受けて実践できるようにしたのだ。そして、この独自のゴンジョは「ゴンジー・ガンドゥン」という本にまとめられ人びとに提供されている。

一番の驚きは、ゴンジョは、極めて厳しい修行であるのに、完全に自発的で参加制限なしで行われる点にある。『四川チベットの宗教と地域社会』を読めばわかるが過酷だ。皆んなで一緒にゴンジョを行い、僧侶の講話を聞く、いや貴重な時だ。そして最後には、ポアが実践される。そして実践の成果として「頭頂に草がささる」という身体の変容を経験する。そして、巡礼にも行く。2009年のゴンジョ参加者の多くは1500km先のラサまで五体投地だけで移動するという激烈な旅を行っている。驚異のほかない。

最後に、ゴンジョの場で唱えられるソンデと呼ばれる祈願文を書いて終わりにしたい。

  暗い時代に救いの道を導く
  シェンの教え(ボン教)の穢れない戒律を正しく守る
  聖者の宝、富が豊かに備わり太陽の光のように照らすので
  無明や無知をすべて取り除いて下さる方が健康であるようお祈り申し上げる


    


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