フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

基金の思い出

2008-06-29 23:25:28 | old stories
今日は一日、大雨。

昨日は慣れない東京駅で丸の内線に乗り換えて四谷3丁目まで行ってきました。東京駅はすでに警察の人たちが改札口に何人も立っていて、サミット特別警戒が始まっていました。子供の頃家族で連れて行ってもらったりしていた洞爺湖畔でサミットが行われるなんておかしな気がします。

京葉線をでたところから丸の内線に辿り着くためには、ながくて真新しい地下通路を延々と歩いていかなければなりません。この真新しい地下街はいったいどんな場所なのかさっぱりわからないまま、何とか丸の内線に着き、そこから四谷3丁目まで行って、新しく移ったという国際交流基金まで出向いて某仕事をしてきました。

国立大学に日本語教育の科目がなかった80年代には、日本語教師になりたいなら、基金と国語研究所の養成講座と言われるほどで、国研の研修を受けたぼくにとっても基金の名はとてもなじみがあります。

非常勤の仕事を初めて麹町でしたときに、すぐ裏手の紀尾井町に交流基金があって、ときどき変な用事で出向いた記憶があります。あのあたりは、紀伊、尾張、井伊の3家の庭園の名残があって、谷も刻んでいるため木も多く、柔らかな春の日射しが木立から射していたのを覚えています。あれはバブル寸前の頃だから良い時代だったのかもしれません。

それからまたしばらくして浦和に国際日本語センターが出来て、オープン寸前だったときに、国研のアルバイトで連れて行かれ、そこの録音スタジオを借り切ってビデオ編集を夜遅くまでやったこともありましたっけ。その後、とんと縁のなかった基金ですが(だから六本木の基金のことはまったく知りません)、これからしばらくお仕事をさせてもらうことになったわけです。

外務省系の基金はいつも洒落ていて風通しのよいところだと思っていましたが、ぴかぴかすぎるためになかなか私には入りがたい気が昔はしていたのだと思います。学生時代に2大学、教師になって4大学を渡り歩いていますが、みんな公立系で綺麗とは言い難いところばっかりだったわけですし。まあ、入りが難いという感じは今も同じかな...。
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