フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

言語管理研究会特別講演会(3/11)

2011-04-21 23:55:58 | research
桜もほぼ散り、八重桜しか残っていない。今年は冬が長く居座ったせいか、桜も梅もこぶしもハナミズキもいっぺんに咲き始めた。まるで北海道のように、あるいは東北のように。

さて、もう1ヶ月以上経ってしまったが、3月11日は言語管理研究会と神田外語大学異文化コミュニケーション研究所の共催で、特別講演会「中央ヨーロッパと接触場面の変容」が行われた。

講師: Jiří Nekvapil(チェコ、カレル大学一般言語学科教授)
場所:神田外語大学
日時: 2011年3月11日(金)13:30-16:00

チェコにある多国籍企業でのインタビュー調査をもとに会社の中での言語選択がどのような言語イデオロギーとかかわるかを話してもらう。ネクバピル先生とはかなり長いつきあいだが、今回は、北大の誘いで来日し、早稲田大でも講演があり、この日が最後のレクチャーだったわけだ。日程調整で候補日がいくつかあってこの日になったが、ネクバピル先生にとってはアンラッキーとなってしまった。また、来て下さった多くの方々にとってもたいへんな1日となってしまった。

その後の簡単なご報告:

ちょうど講演が14時40分ごろ終了して、10分の休憩をとったところで、14時46分がやってきた。
急いで屋外に待避、神田外語大の学生たちのいた広場のほうに移動した。職員の方々の指示にしたがって、夕方まで待機。その間も、液状化で濁った汚水の匂いのする水が砂といっしょに湧いてきて、地面をぬらしたり、余震がきてキャンパスの芝生が波打ったりしていた。キャンパスのあちこちの舗装が落ち込んだり、崩れたりしていた。ぼくらはそれぞれ写真を撮ったり、研究会の内容について話したりしていた。ぼくだけ車で自宅に戻り、ちょうど学校から戻っていた娘と再会し、いっしょに神田外語大に戻った。途中の道も液状化でぬれている。

電車は不通でだれもどこにもいけず、結局、寒くなってきたので一番安全な大講堂に全員移動。
研究会の後、小さなお茶会を予定していた食堂に行ってみると、何事もないようにおやつやコーヒーが待っていたので、参加者のみなさんとしばしそこで暖かい飲み物で息をついた。これは助かった。それからまた大講堂にもどる。スクリーンでNHKテレビを見る。目を疑う津波。この映像でたいへんな震災になったことを理解。結局、神田外語大の200人くらいがそこで一夜をすごすことになった。

8時を過ぎても電車は動かないのをみて、遠くからの参加者5名について宿舎を照会してもらった。ぼくは講演会の手伝いに来てくれた留学生4人を稲毛のアパートまで車で送る。普段は20分程度の道のりなのに、途中、渋滞が始まり、1時間以上かかってしまった。ようやく稲毛につくと、そこは何事もなかったように明るく人通りも普通通り。やはり埋め立て地と元からの陸の上ではちがうようだ。町の明かりをみて、いささか生き返った心持ち。4人を降ろして、再び、神田外語大に戻る。今度はネクバピル先生をホテルまで送り、まだ宿泊先が決まらない参加者にも車に乗ってもらってホテルを探すが、どこも満員で無駄だった。結局、二人が大学で一夜を過ごすことになってしまった。

そんなこんなで11日は終わり、ネクバピル先生は翌日帰国するはずだったが、翌週の火曜日にようやく成田から発たれた。12、13、14日と、レストランやお店の多くがしまって人通りの絶えた幕張新都心をネクバピル先生と歩いたりしていた。チェルノブイリの話もあり、当時、共産圏に属していたチェコでは何もなかったふりをしたと話してくれたのが印象的だった。ちなみにぼくはチェルノブイリが爆発した4月26日から5ヶ月後に、ウィーンに着いている。

これが3月11日のささやかな出来事だ。
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