フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

パロディについて新しく学んだこと

2009-11-04 23:32:34 | old stories
古い頃からつながる最近の話を1つ。

たぶん中学3年生のときに合唱大会でクラスで選んだのが「あの素晴らしい愛をもう一度」だったと思う。

まだ、フォークソングを合唱曲に選ぶのはちょっとした勇気のいる時代で、まさかその後、教科書に載ることになろうとは思わなかった。当時、もっともかっこよかったのは北山修で、若者の代弁者としてラジオのパーソナリティをしたり著作を発表したりして、ぼくは遠い北海道で彼から時代の香りを嗅いでいたところもあったのだろう。

その後、札幌の高校では北山修が札幌医科大の研修医だから、健康診断に来るかもしれないなんてまことしやかなうわさが周囲に流れていた。ウィキなどでは1972年医大卒業後、札幌医科大で2年間研修医となるとあるから、ぼくが高校に入った頃には、まだ札幌にいたかそれともロンドンに留学したかの微妙なところだったようだ。

それから北山修の名前にもフォーククルセイダースの名前にもほとんど遭遇せずにいたけれど、2002年に突然、アルバム『戦争と平和』が発売されて、どういう経緯でそうなったかもう思い出せないが、そのCDを買ったのだ。パロディとジョークと皮肉ときまじめさが、古い唄(e.g.「ヨイトマケの唄」、文化大革命の中国を思わせる「あわて床屋」)もフォークソングの古典(「花はどこへ行った」)も、そして捕鯨禁止を理路整然と茶化した「今日の料理テーマ~鯨のステーキ・グリーン・ピース添え」もごちゃまぜにして、ものすごい選曲センスと知性で並べられていることに驚嘆した。もちろん、このCDが9.11とアフガン戦争に対して制作されたことは知っていたけれど。

最近、そのCDと同じ時期に公演された2002年の『新結成記念解散音楽會』の放送を見た。ずっとそのコンサートがあったことは知っていたけれど、見るのは初めてだった。(関係ないけれど、その昔、Simon and Garfunkelの再結成コンサートがあったときはぼくはわけも知らずマサシューセッツの家の古い白黒テレビでコンサートを観ていた。再結成ということも知らずに)加藤和彦が一人で歌った曲は「11月3日 (雨ニモマケズ)」だったり、「感謝」であったりと、そしてその歌いっぷりも含めて、彼がとてもきまじめだったことを理解した。彼の音楽的なパロディ精神(この言葉はモーツアルトを思い出す)はこのきまじめさと表裏一体だと言うこと、あるいはきまじめさのないパロディはただの悪い冗談でしかないことに気がついた。もしかしたらパロディ精神が音楽の中で発揮されていれば幸せだったのに、バランスが崩れて、音楽を越えてしまったのかもしれない。
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