先日実家に帰ると3つの段ボール箱がまっていた。長年置いていたのだけどもう何が入っているか忘れていたけど、開けてみたらあなたのだったよ、と母親。開けてみると大学時代の本、本、本。しかし何よりも驚いたのは、もう20年も見ていなかった留学から戻ってくるときに持ち帰った記念の品々と、写真のフィルムだった。
否応なくタイムスリップがぼくの頭の中で始まる。留学先の大学の大学新聞とか、大学町の本屋のしおりと紙袋とか、町の地図とか、毎週徹夜で書かされたレポートとか、そんなものがぞくぞく出てきたのだ。そう言えば、最後のニューヨークで購入したニューヨーカーの額入りポスターは今年の1月にぼくの家の壁に復活したし、何よりも鉄製のキーホルダーは留学の時から変わらない。そうして今回はいっきにいろんなものが出てきたというわけだ。
とりわけ喜んだのは写真のフィルム。今、少しずつスキャナーでコンピューターに取り込んでいる。
ぼくはどうしてアメリカに行ったのだったろう?
ぼくはそこで何を経験したのだったろう?
ぼくの接触場面研究にはどのような制約やカタヨリがあるのだろう?
うまくいくかわからないけど、遠い夕暮れに飛び立ってみよう...
否応なくタイムスリップがぼくの頭の中で始まる。留学先の大学の大学新聞とか、大学町の本屋のしおりと紙袋とか、町の地図とか、毎週徹夜で書かされたレポートとか、そんなものがぞくぞく出てきたのだ。そう言えば、最後のニューヨークで購入したニューヨーカーの額入りポスターは今年の1月にぼくの家の壁に復活したし、何よりも鉄製のキーホルダーは留学の時から変わらない。そうして今回はいっきにいろんなものが出てきたというわけだ。
とりわけ喜んだのは写真のフィルム。今、少しずつスキャナーでコンピューターに取り込んでいる。
ぼくはどうしてアメリカに行ったのだったろう?
ぼくはそこで何を経験したのだったろう?
ぼくの接触場面研究にはどのような制約やカタヨリがあるのだろう?
うまくいくかわからないけど、遠い夕暮れに飛び立ってみよう...