RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

うろこの内側に自分の海の匂いを溜めた日

2013-10-20 18:02:43 | つぶやき



海辺 ぐらし
(立原道造「田舎歌」村ぐらし風にオマージュを込めて)

郵便函はOストアーの横道角にいた
レターパックを入れに 麦藁帽子の押さえ紐を顎で結び
自転車で漕いでいく
郵便函は笑って口をあけるが
大して可笑しくもないからと
ことわりを述べてカシャリと声をだす
おばさんは ちょっと哀しくなりながら
来た道をまた自転車に乗って帰っていく

Oストアーは随分と前に店じまいをして
シャッターは閉まったままである
郵便函の前の道を右に曲がると
その果ては海である
真っ直ぐの平坦な道が平たい海岸の砂浜につながり
浜辺にはレース状の白い薄波が押し寄せては
また引いて
幾度となく繰り返し
一年・百年・千年
透けてはきらつく砂粒に被せてさざないていた
波は
そうして貝殻を洗い
赤ん坊のように寝かしつける
砂のベッドは心地良く
いわずもがなに埋もれていく
時々拾われて誰かの玄関に瓶に入れられ 
飾られたりもする
誰かを招き貝には なれそうもないが
などとひっそり思う ビンの中




招く・・・そういえば
シオマネキなどという名のカニがいた
片方の手がやたらとふとくて アンバランス
人間はいつも アンビバランス
波の如くに引いては還す 
招いてはさようなら
追い出しては招き入れる感情の波
尊敬と軽蔑 愛情と増悪
人間世界はいつまでもアンビバランス
砂で作った城に 庭はいるかしら?
遥か昔 何億光年もむかし ヒトは何だったのか
空の中にいたか
海の中にいたか
帰る場所は何処なのか
還るならば、帰らなくても良いのだと
そのへんに居たらいいのだ
と 
永遠を枕にして




追伸
浜辺の堤防道で釣り道具を携えた老人に会った
小さなビニールバケツの中で 何かがぴちゃりと音をたてた
海に沈む夕陽に別れをつげたのか 
自分の行く末など知る由もなく 
うろこの内側にじぶんの海の匂いをこっそりためている
(了)




九月の末友人の父親が亡くなり
お葬式に行った
父を亡くした人になんと声をかければいいのか
ずっとわからないで生きてきてしまった

十月入ってすぐ、今度は
千田の叔父さん(母の兄)が亡くなった
晩年は大阪でなく熱海に住んでいた
叔父さんは私の高校の大先輩で、大学生になった時には
同じ大学のデザイン学科で教鞭をとっていた
学科が違うので大学では会うことはなかったが
一度くらい叔父さんの講義を聞きに行っておけば良かった

今になって思う




小さい頃
親戚の集まりで遭遇すると
「オオサカ連れていっちゃろか~」
とか
「オオサカ一緒いこか~」と
逃げる私をおどかしては遊んでいた
遊ばれながら
大阪にいながらオオサカに行こうと言う叔父さんに
自分の住む大阪ではなくオオサカという場所が何処か
ちょっと子供には見てはいけない禁断の場所として
インプットされ
画して私の中でオオサカの街の象徴になった



オオサカのおじちゃんはまさしく
私にとって
大阪の文化の象徴でもあった
実際
日本でのグラフィックデザインの基礎を作ったといわれる
メンバーのひとりでもあると後で知った

そんな偉大なおじさんたち
の話が書いてある本が家にあったので
追悼のため今一度読み返してみた
『聞き書きデザイン史』(六耀社)という本




日本のグラフィックデザインを築いた
25人の先達たちの軌跡を収録した貴重な自伝&証言集(田中一光編)

粟津 潔、今泉武治、今竹七郎、登村ヘンリー、川崎民昌、祐乗坊宣明、
伊藤憲治、大橋 正、早川良雄、中井幸一、山城隆一、千田 甫、西島伊三雄、
多川精一、増田 正、村越 襄、黒須 寛、中村 誠、木村恒久、永井一正、
田中一光、勝井三雄、杉浦康平、福田繁雄、金井淳(敬称略)
の25人です。



帯のキャッチは
『クリエイティブ、それは時代を超えたオリジナリティ』

オリジナリティと言う言葉がわたしには重く響く
結局、私は何も築けていない自分に悲しくなるが
兎も角 
今、おじちゃんの人生に
敬意と哀悼を捧げようと思う