七夕に
幸せな死のバリェーションを考える
たまたまNHKで夏木マリが
理想の死に様再現フィルム?を
自分で演じていた
歌いながら逝くらしい
ふむ
ボーカリストでなくても
ステージで歌いながらこときれるのは悪くない
幸せな死といえる
笑いながらもいい
あるいは踊りながら
出来れば
大好きな人にどさくさまぎれに寄り掛かり
ステップ踏みそこなって
バッタリ逝くのも幸せかもしれない
タンゴかフラメンコあたりがいいね
サルサやフラダンスはだめか
Hip Hopやロボットダンスはどうよ
電池切れのように止まって終わり
役者なら演じながら台本どおり死ぬのもヨシ
あるいは一言アドリブで
辞世の句など
言ってみてから逝くのも幸せか?
楽団員やギタリストやパーカッショニストなら
演奏しながらこときれる
楽器を抱えてやすらかに
名演奏なら
観客の盛大なる拍手に送られて
幸せに逝けるに違いない
一般人は恋人がいるならキスしながら
交わりながらも幸せか?
走りながら森を歩きながらはどうだ?
気がつかない内に
バッタリ逝くのも幸せかも
気がついたら死んでたよ
ってか
絵描きは絵を描きながら絵の具まみれでカラフルに逝け
落語家は落語をしながら~落ちの前に逝くのも一興
観客いじめだね
落ちてから奈落ならぬ極楽に登るか
冒険家は世界最高峰に登りながら
大海原で波にのまれるのか
はたして本望な逝き方は山か海か
いや空もある
大空に羽ばたいた
風船おじさんのことを時々思う
七夕に
ひとつ幸せな死のパターンをあげるなら
伊藤帯刀則資(いとうたてわきのりすけ)のこと
ラフカディオ・ハーンの
天の川縁起の中の短編で
『伊藤則資の物語』
あらすじはこんな感じ
かれこれ六百年ばかり前のこと
平氏の流れをくむ凛々しい顔立ちの
人好きのする文武両道に秀でた若者
しかし
家は貧しく栄達の見込みなどまるでない
風月のみを友とする
さびしい侍がおりました
ある秋の夕まぐれ一人の少女と出会う
日が暮れに一人歩きは危なかろうと
家まで送ることを申し出て送り届けるのだが
宮仕えだという少女
この付近にそのような高貴な方が住む
お屋敷きなどあっただろうか?
と思いながら
林を抜けそのお屋敷のある村にたどりつく
すでに日は沈みすっかり暗くなる
少女はお礼と共に
お上がりになってしばらくお休み下さい
と言う
帯刀はこの屋敷きに
一体どんな高貴な方が住むのか知りたくなり
休んでいくことにする
門をくぐると中は広い古風な庭である
自然の景を象った曲水を巡らしてある
夜の闇に琴の音が
さざ波のように流れて来る
軽やかな美しい音色を聴いているうちに
いつしか
身もとろけるような歓喜の念に捉えられる
歓喜の内にも悲哀のこもった心持ち
これほどすばらしい弾き手の女(ひと)とは
誰なのか?
天上の音楽なのではあるまいか!
琴の音に妖しいまでの力を感じて
血がざわざわとする帯刀である
調べがやんで奥へと通されて
いかにも
身分の高そうな装飾や紋の茶碗に什器の膳
上座に座ると
老女が
失礼ですがことによるとあなたさまは
宇治の伊藤帯刀則資様ではごさいませぬか?
と問われる
驚いて
うなづくと
実は
と話を始める老女
貴方様はこの村をよくお通りになりますね
そんなお姿を
ある朝
わがお姫君様がたまたまご覧になり
それからというもの
夜も昼も
貴方様のことがお心からはなれず
思いが募り
病の床に伏せられ
まわりのものが心配のあまり
あれこれ手を尽くして貴方様を探し
お手紙を差し上げようとしていた矢先
図らずも
うちの女童を送り
この屋敷きにこられたのでございます
神様のお導き
ぜひに差し支えなくは縁組を
と言う申し出に
帯刀はどうしたものか
もちろん定まった許婚もなく
どんな女性ともかかわりなく
文武道に邁進するのみの
出世の見込みもない男であり
高貴な姫君には
ふさわしくないとしか言えませぬ
と答えるが
ひとめ
わが姫様にお会いになればわかります
と言い
早速に姫君と引き合わせられる
その姿は
いまだかって夢にも見たことのないほど
美しい光につつまれて
麗しい黒髪が春風に散り乱れ
朝露にぬれた桃の花さながらの
くちびる
幻のごとき姿は
天上の織り姫なのかも知れぬ
とその光をあびながら
言葉を失い
魅せられ虜になる
あれやこれやという間に婚礼の運びとなり
しかし
帯刀がかねてからの疑問を口にせぬ訳にいかぬ
この姫君は一体誰であるのか
と問う
すると老女の優しい顔に影が射し
実はと語り出す
貴方様の新婦となられた方は
不運の将軍三位中将重衡さまのご息女であらせられます
と
その言葉に帯刀は水のごとき戦慄が全身を走る
重衡卿とは
かの偉大なる平家の将軍にして公卿であり
なんと死んで葬られてからすでに
何世紀も経っているのだった
ここではたと悟り
今
自分をとりまく一切のものは
すべてことごとく夢幻であり
死者の亡霊たちであるということが
ところが
次の瞬間
凍るような戦慄は消えうせて
不思議な事に目前の幻の女の眉を
悲しみで少しでも曇らせる位なら
死んだほうがましだ
一度ならず 何度死んでもいい
とさえ思えるのだ
そして
何代にもわたり自らを慕い続けてくれた
美しい亡霊の夫となり
一夜を共にして刀と硯を交換して
誓いをかわす
亡霊の定めに従い
十年後の亥の年に再びお会い出来るまで
別れ別れにならねばならないと言われる
そして
この不思議な出来事を
誰にも話さず暮らさねばならなかった
十年はなんとも長く辛く
帯刀にとっては恋い焦がれ待ちわびる十年でもある
日増しに彼はやつれてゆき
友人や身内はそのひどい変わりように
結婚でもさせたら人生に興味を取り戻せるかも
と思うが
彼は自分は世の中の女とは結婚しない
という誓いをたてたからと断り
十年が経ち
亥の年の秋が来る頃には
もはや彼は
床から起き上がることさえ出来ず
生命の潮の引くように衰えてゆき
深く長い眠りの中
しばしば死んでいるかと間違われる日々が続いて
ある晴れた夕暮れに
あの宮仕えの少女がやってきて
ほほえみ
今夜お迎えにあがります
と言う
帯刀はこれから日の光の射さぬ所へ逝くことを
承知していたが
そのことづてはひどく嬉しくて元気がでたので
母を呼んで事の次第と新婦の事を話し
誓いの為
刀と交換した硯を見せて
自分の棺の内に収めるよう頼んで
息を引き取ったのです
彼の死は幸福のパターンに入るか否か?
光に魅せられ闇に入る
なるほど
闇ほど光の映える場所はないね
光は時間を支配する
ニルヴァーナ
コルビジェのようだね
本名ジャンヌレ
昨日
たまたまBSでやってたのよ
コルビジェ~光のかたち~
って番組が
ロンシャンの教会
サヴォア邸
彼の集合住宅は本当にすばらしい
ラ・ショード・ホン
時計師たちの街
コルビジェの父は時計師であった
風景が家に入るレマン湖のほとりの父母の為の家
朝日の差し込む部屋
最愛の妻イボンヌが
亡くなった年は
偶然にも私の生まれた年だ
まあそれが何って
いわれても・・・。
いいじゃないの
『めまいを起こすほどの速さで
過ぎ去っていく
終わりが近付いて来ることさえ
気付かぬ人生を通じて
これらすべてのことは
頭のなかで起り
かたちをとり
少しずつ芽生えていく』
死のひと月前に彼が残した言葉
光をかたちにしようとした建築家
あきらめの良い人間は のびない
らしい
そうなのか?
あきらめきれない人間 だけが残る
本当に?
あきらめきれない人間の 意識だけが残る
どこに残るのか!
意識は遺伝子に残っていく
まじで?
しかし
人間がこの世から絶滅したあとは
意識も消え
この世界は無かったことになる
最初から無かったことに
私はここにいるのに
存在というのは意識である
七夕である
織り姫と牽牛のランデブーの日
晴れたらいいね
洞爺湖サミットも始まるしね
人間たちの意識改革は出来るのかな
外交は武器無き戦争
だって
ニュウスキャスターは言ってますた
はい。ますたよ
サミット会場は戦場なのか?
「過去は 新しい
未来は 懐かしい」
古館伊知郎が好きなインドの言葉
だってさ
ちょっと気がきいているじゃないのさ
と思われたいのね
きっと
でもいい言葉だと思う
ドラマじゃ
強い者が生き残るんじゃない
生き残った者が強いんだ
って台詞も聞こえてきて
もう
強くなろうなんて思わないでいい
と思う
子供を戦場に送るなよ
子供に鎧はいらない
大人にもいらない
今日はリンゴ・スターの誕生日
でもビートルズじゃなく
今日の
ヘッドグランドミュージックは
フレディマーキュリーの
ボヘミアンラプソディby QUEEN
ところで
ロック喫茶ってあるのかなあ
ジャズ喫茶は結構あるのにさ
ロックと喫茶が
いまいちマッチしないのだろう
残念!
オベラ座の夜
うつろな日曜日
ギターソロ
予言者の歌
ロックオリジナリティの権化
炎のロックンロール
デヴュー
キラークイーン
ロック少女
フレディの故郷ロンドン
ろんどんとうどんは似ているな
・・・。
白いピアノから生まれた曲
その心は
人間関係だと
本人が言っていたと
友人がテレビで言ってた
でもその友人の説は
彼が彼を葬る歌だと
今の自分を葬り
これからの自分を迎える
新しい自分に変化していく歌だと
好きに聴いたらええのや
フレディは
歌を歌いながら死んだのかな
意識をすてて意識を得る
この世は光に満ちている
(男前のええ御尻)