◎安部公房の「文字表音化への私見」(1959)
太田青丘法政大学教授が一九五九年一二月一日の読売新聞夕刊に寄せた「国語表音化への疑問」と題する国語表音化批判に対しては、作家の安部公房〈アベ・コウボウ〉から「文字表音化への私見」と題する再批判があった。本日はこれを紹介しよう(ただし、紹介は前半のみ)。
読売新聞一九五九年一二月一一日、「文化」欄より。
文字表音化への私見 ―じゅうぶん納得できない反対論―
安部公房
ぼくはべつに国語ローマ字化論者ではない。表音化の方向だけが絶対的なものだという、確信があるわけではない。しかし「新かな使い」は便利だし、まだ一度も不便を感じたことはないのである。作家の中には「新かな使い」と「当用漢字」のせいで、微妙な表現上のニュアンスが失われたと嘆いたりしているものもいるようだが、そんなニュアンスは、文学の本質とはなんの関係もないものだと、ぼくは考えている。もともと散文の精神とは、そうした言いまわしのニュアンスなどを拒否したところに成立ったものではなかったか。サルトルやフローベルを持出すまでもなく、文章から文体へという方向こそ、近代以後の小説がきずきあげた大きな成果だったはずである。その証拠に、すでに語感の失われた翻訳小説が、立派に批評の対象として通用しているではないか。語感の喪失は、べつに表音化否定の根拠にはなりえないのである。
むろん、こんなことは分りきったことだから、表音化反対論者の主張には、なにかもっと深い根拠があるにちがいないと思い、二・三心掛けて読んではみたのだが、残念ながら今のところ、まだぼくをじゅうぶんに納得させる説明には行きあたらなかった。それどころか、なかには言語と単語はちがうものだという、ごく初歩的なことさえ知らないらしい論者さえいるのである。論争以前だとは思うが、参考までにとりあげてみると、たとえば、「有料道路」を表音化してしまったら「優良道路」と区別がつかなくなるといった論法だ。
はたして「有料」と「優良」の区別が、国字の運命を左右するほどの大問題であろうか。有料道路の経営者ででもないかぎり、一般国民には、さした関心事になろうとは思えない。現に会話のさいには、大した混乱もなく、なんとか使い分けているわけだ。同音異字がそれほど不都合なら、日本人は、筆談にでもたよらなければ高級な会話はできないことになってしまう。それに漢字には、金を「きん」と読ませたり「かね」と読ませたりする、逆の場合もあるわけだ。あまり一方的な説明は、自ら墓穴をほることになりかねまい。
また、USAとか、BCとかいう用法が、表音文字の不便を補うための、表意化の傾向であり、ヨーロッパでも表意文字の優秀さが認められつつあるというような論もある。時代のスピード化による端的な表現なのだそうだが、そんなものがもし表意主義の本質なら「ごきげん」「いかす」「カックン」等の流行語のはんらんも、表意化の傾向としてよろこばなければならないことになりはしまいか。それに残念ながら、略記が言語全体の中でしめる比率は、まことに徴々たるもので、国語問題を考える規準などにはとうていたりうるものではない。こんな笑い語のような説明が、堂々と大学教授クラスの人からされているのが現状なのである。
もちろん、表音化反対論者のすべてが、これほど薄手だというわけではない。たとえば文字は単に話し言葉の記号化ではなく、それ自体が大事な思考のメディアなのだという、かなり本質にせまった論拠もある。たしかに文章と会話は、一応の相対的独立をもっている。互いに固有な法則があるという事実を否定することはできない。じっさい、考えながら書くだけでなく、書きながら考え、また聞いて分らなかったことが読んで分るという場合もしばしばなのである。話すように書くというだけで、国語問題が論じきれないのは当然なことだ。
しかし、だからと言って、表音化に反対しなければならないというのも、いささか性急な飛躍ではあるまいか。いくら表音化されようと、文字は文字なのである。たとえばローマ字つづりの文章が、とつぜん文章であることをやめ、音声になって耳に聞えてくるなどということはありえない。文字が書声と区別される根本は、表音であろうと表意であろうと、本質においては変りないはずである。【以下略】
読んでわかるように、国語表音化論への支持というよりは、国語表音化論を批判する人々の主張に対する疑問である。名前こそ挙げてはいないものの、太田青丘法政大教授の主張に対する論難は、辛辣なものがある。
後半にも、いくつか興味深い指摘があるが、今回の紹介はここまでとする。
今日のクイズ 2013・1・28
◎1959年ごろに「カックン」という言葉が流行していました。この言葉をはやらせたのは、次のうち誰だったでしょうか。
1 由利徹 2 森繁久弥 3 榎本健一
【昨日のクイズの正解】 3 military police 憲兵隊 ■「進駐軍」の規律維持にあたっていたエムピー(憲兵隊)は、「MP」と書かれた腕章によって、敗戦後の日本人にはなじみの存在であった。
今日の名言 2013・1・28
◎「新かな使い」は便利だし、まだ一度も不便を感じたことはない
作家の安部公房の言葉。「文字表音化への私見」(読売新聞1959・12・11)に出てくる。上記コラム参照。