礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

品川の侠客が体験した関東大震災

2013-01-24 08:04:04 | 日記

◎品川の侠客が体験した関東大震災

 ここで話を戻し、「関東大震災」の体験談をもうひとつ紹介する。
 体験談を語るのは、芳賀利輔〈ハガ・トシスケ〉という「壮士系」の侠客である。出典は、芳賀利輔『暴力団』(飯高書房、一九五六)の後半にある「やくざの世界」(インタビュー)。 なお、ここで「壮士系」の侠客というのは、博徒系でも街商系でもない、政財界に関与する近代型のアウトローのことである。

ききて つまり昔はヤクザ者同志の喧嘩には寛大なんですね。
芳賀 それでいいんだと思います。もっとも場合にもよりますが、一つ東京府知事から感謝状を貰うことになり、警視庁から逮捕されたという前代未聞の実実をお話ししましょう。大正十二年九月一日東京の大震災の日には銀座に用事がありまして子分を三人つれまして丁度昼食時になりましたので数寄屋橋の今の日劇〔日本劇場〕の前、いまでもありますが、更科〈サラシナ〉のそばやの二階に居りました。
 なんだか蒸し暑い日でしたが急に揺れ出しました。大変な揺れかたです。その当時は今の更科と違い良く家庭にある吊るし電気でした。その電球が瀬戸の傘と共に天井にぶつかるのです。電球と傘が破れて頭上に落ちてきますので、手拭いでそばやの御膳を頭に縛りつけて呑んで居ました。余りひどいのでそばやの二階から外を見ますと既に電車が止まったきり動きません。並びの今の国際会館の前の幸楽という牛肉屋の二階だけがどうしたのか、電車の路線まで崩れて居ります。警視庁はその頃はいまの堀端〔馬場先門〕、帝劇のならびにありましたが一番さきに火が出て居ました。まだ揺れております。これは容易ならぬことだと考えました。座敷の上も無事には歩けません。人は右方左方に走って居ります。流石に〈サスガニ〉若い頃の呑気者も、こうしては居られません。階下に降りましたところが、客も、雇人も、御主人方も居りません。菰〈コモ〉かぶりの酒四斗樽〈シトダル〉が倒れて、栓がとれており、酒が流れて居ります。口をつけて呑もうかと冗談をいいながら勘定を払らうことができず外へ出ました。とにかく、家へ帰る自動車を拾おうと、若い者が円タクを何台も何台も止めるのですが、皆断わられます。箱根の雲助のように慾の深い円タク屋さんも、この日ばかりは金では動きません。漸く一台の車と話が成立して乗ることができました。この車は渋谷の方へ帰るのだそうですから麻布まで行きましょうとのことで約束をしました。麻布に私の母親が居りましたので、そこで母親を見舞い、心を残して品川の東海寺という寺の横丁で品川税務署の前の東広町〈ヒガシヒロマチ〉という所にありました。家に帰ってみて驚嘆しました。二階建の私の家は煎餅のように崩潰されて居ります。家族の者も一人も居りません。近所の人に聞いてもだれも知っては居りません。他人どころの騒ぎではないのでしょう。潰れた〈ツブレタ〉家を堀り出しました。中から二人の人間が出て来ました。一人は私の内妻で、一人は高山という男です。私達が帰らなければ、だれも堀り出してくれる者がなく死んで居たことでしょうね。
 みんなほうにくれてしまいました。金はなく、食物はなく、家がないのですから、最後に考えついたのが、家主を訪問することです。
 当時私の家は二階六畳、下六畳、四畳半、三畳の家で家賃はいくらだか忘れましたが、保証金を家主に金三百円預けて居りました。まだ越して来てから十日程しか経たなかったので当然保証金は家かなくなったので、返るものと解釈したのです。
ききて それは当然でしょうが、ちょっと難かしい問題ですね。
芳賀 ところが家主は至極話の解る人でしたものですから、それだけにかえって大きな問題を引起してしまったのです。
 米屋の主人の話では、「家が潰れたのは天災ですが、お困りでしようから、保証金は返したいが、ムラトリューム〔モラトリアム〕の為銀行が駄目です。故に私の家は米屋ですから米を計算して差上ましょう」というのです。
ききて 随分話の解った家主ですね。(笑)
芳賀 二十五六俵の米を貰ってきました。一応崩れた家の前へ米を積んでおきましたが、それが飛んだ間違いの種になったのです。【以下は明日】

 原文では、促音・拗音が、大きいままになっていたが、小さくした。これを除いては、漢字・送りがな・かなづかいは原文のままである。
 ここまでのところでは、語られる体験に、特にアウトローらしいところはないが、このあとは、アウトローらしい逸話が聞ける。

今日のクイズ 2013・1・24

◎突然ですが、クイズを出したいと思います。上のコラムで引用した文章の中に、「円タク」という言葉が出てきました。これは、「一円タクシー」の略で、すなわち、一円均一の料金で走るタクシーのことですが、関東大震災当時の「円タク」について、次の1~3から正しい文章をひとつ選んでください【正解は明日】。

1 関東大震災当時は、まだ「一円タクシー」は登場していなかった。
2 関東大震災当時、大阪ではすでに「一円タクシー」が登場していたが、東京ではまだ、「一円タクシー」はあらわれていなかった。
3 関東大震災当時、大阪でも東京でも、「一円タクシー」が活躍していた。

今日の名言 2013・1・24

◎金はなく、食物はなく、家がない

 芳賀利輔が関東大震災の直後の状況について述べた言葉。『暴力団』(飯高書房、1956)の119ページに出てくる。

コメント
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