礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

1959年の「送りがな」論争(1961年の「国語紛争」の序章)

2013-01-22 09:49:43 | 日記

◎1959年の「送りがな」論争(1961年の「国語紛争」の序章)

 今から半世紀以上前の一九六一年(昭和三六)、国語国字のあり方をめぐって、「国語紛争」と呼ばれる紛争があった。その背景となったのは、一九五九年(昭和三四)以来続いていた「送りがな」論争であった。あるいは、そのさらに大きな背景として、戦後から進行してきた一連の国語国字改革を指摘することができるだろう。すなわち、それまでの国語国字改革に対して国語保守派が抱いていた不満が、一九六一年にいたって、一気に噴出したのである。
 この国語紛争や、その背景としての国語国字問題については、今後、このコラムで、積極的に採りあげていきたいと思っている。
 本日は、一九五九年一一月二四日の読売新聞紙上に、土岐善麿〈トキ・ゼンマロ〉が発表した「国語表音化の必然性―それを阻止することこそ時代逆行の『謀略』―」という文章の前半を紹介したい。
 土岐善麿は、歌人として著名だが、同時にローマ字論者であった。戦前は、長く新聞社に勤めていたという(読売新聞・朝日新聞)。土岐は、戦後の一九四九年(昭和二四)から一九六一年まで、国語審議委員会の会長を務めている。この文章を発表した当時も、当然ながら、国語審議委員会の会長であった。

 国語表音化の必然性 それを阻止することこそ時代逆行の「謀略」
  土岐善麿
 ちかごろ「国語問題協議会」というものがつくられ、新聞の伝えるところによると、知名の文芸家、学者、財界人などが参加したということである。それはそれぞれの方面のごく一部ではあるにしろ、平生あまり国語問題などについて発言されたこともきかず、したがってどういう態度、見解をもっていられるのか、よくわからなかった向きもあり、それがある程度あきらかになる機会ともなれば、けっこうなことであるとぼくは思った。しかもそのことが、こんどの送りがなに反対する目的で発起され、新しいつけ方を実施することにした内閣と、すでに実行へと進んだ全国の各新聞社の方針に向って、集団的に、何等かの行動をとるということであるから「送りがなというものの性質上、急速に整理統合することはきわめて困難なこと」と認めながらも「よりどころ」を示すための建議をおこなった国語審議会としては「社会の各方面」にあらわれた「効果」のいわば両面と考えてよかろう。
 あの建議に「適当な」修正を加えて採用した政府・文部省の立場、日本新聞協会の立場、各新聞社の立場、それに支持を声明した「国語政策を話し合う会」の立場ないし一般支持者の立場は、おのおのまた独自なものがあるはずだと思うが、国語審議会が送りがなを扱った立場については、最近の毎日新聞紙上「私の意見」欄にすこしく述べておいたから、ここにはあらためて書く必要はあるまい。いったい送りがなに関しては、古いところで中根淑〈ナカネ・キヨシ〉の「日本文典」にそえられた最初の文献をはじめ、明治二十二年につくられた官報局の「送仮名法」があり、同四十年にまとめられた国語調査委員会の「送仮名法」は、まず画期的なものとされているが、戦後にも、すでに総理庁・文部省編集の「公文用語の手びき」文部省の「国語の書き表わし方」があり、国立国語研究所が現在における十七種の資料から抄出分類したものをみても、歴史的、実務的、社会的に、まちまちなものとなっている。その「現状整理」のために二年がかりでまとめたのが建議に示した「つけ方」のよりどころで、それが実施・実行に運ばれるまでには、更に半年以上、一年近くかかっている。これで建議機関としての国語審議会の「所掌事務」の一つは、いちおう果たされたことになる。あとは社会の動向・帰向〈キコウ〉を観察すればいいのである。
 ところが「国語問題協議会」を発起し結成した中心的存在と見られるものの反対には、国語審議会が送りがなを扱った意図を「漢字を追放して全部ひらがな、あるいはローマ字にしてしまう謀略だ」とし「新送りがなのおしつけに成功すれば、漢字の駆逐は半ば成功したようなもの。かれらの宿願たるかな文字なりローマ字へは、あとひと息ということになる」という理由がある。これらは福田恒存君、臼井吉見君あたりの談話や文章にみられるが、そうなれば、国語問題一般の上から、国語審議会の会長という立場をはなれて、ぼく自身の見解を述べておかなければならない。【以下は明日】

 国語問題協議会というのは、一九五九年七月に、政府が内閣告示として「送りがなのつけ方」を発表したのをキッカケとして、同年一一月、国語国字改革の動向に異議を唱えるために組織された会である(今日でも活動中)。
 一一月四日、東京・麻布の国際文化会館で開かれた発起人総会には、小汀利得〈オバマ・トシエ〉(準備委員会代表)、長谷川如是閑〈ハセガワ・ニョゼカン〉、山田義見、福田恒存、田辺万平、臼井吉見、山本健吉、宇野静一、小田嶋定吉、木内信胤、本間久雄、大西雅雄、犬養道子らの諸氏が参集したという。

今日の名言 2013・1・22

◎政府が国語に干渉するのは野蛮きわまる

 ジャーナリストの長谷川如是閑の言葉。1959年11月4日、東京・麻布の国際文化会館で開かれた「国語問題協議会」の発起人総会に、わざわざ小田原から出席した長谷川翁は、「私は右翼でも左翼でもなく、“無欲”だが、政府が国語に干渉するのは野蛮きわまる」と発言したという。同月5日の朝日新聞記事による。

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