◎三木清の死と知識人の無気力(大熊信行『国家はどこへ行く』より)
本年になって、二回ほど、大熊信行について取り上げた。その時は、『戦争責任論』(唯人社、一九四八年四月)を紹介したが、その後、『国家はどこへ行く』(鼎書房、一九四八年二月)という本を、書棚の隅に発見した。まだ全部は読んでないが、こちらもなかなかおもしろそうだ。
その終章「反省はいつの日」の一部を紹介してみる。
反省の材料が戦時だけにあつて、戦後にはないといふのではない。反戦思想の嫌疑によつて拘禁されてゐた思想家をして、あの終戦後、幾日も幾日もしてから、獄中に死なしめたといふやうな事実。そしてその死後の行はれた哀惜と追悼の行事や、あらゆる追慕と敬弔の文章にもかかはらず、終戦後すぐさま行はれなくてはならなかつた救出運動の終始と、その不首尾の顚末については、どこをさがしても、書きしるされたものがないといふ事実。救出にあたるべき人々が、当時救出されなくてはならない地位にあつたのも事実だとして、しかしそれ以外に、いかに多くの知友と知識人が、自由な状態でその周囲にゐたことだらう。もしそれらの人々のあらゆる努力にもかゝはらず、救出が不可能だつたといふのならば、をの顚末を国民に報告すべきであり、もしまたあの戦後に及んでさへ、救出運動をおこす意図も、勇気も、誠実も、欠けてゐたのだつたといふのならば、あたまから灰でもかぶつて、まづ人間としての自分らの意気地なさを、天下に告白するがよい。終戦当日、すぐさま阿部〔信行〕朝鮮総督に要求をつきつけ、二万以上の愛国者を牢獄から解放させた呂運亨氏の場合も、ひきあはせて思ひみるべきだ。問題は古くして新しい問題のやうであり、人間の剛毅および不屈の精神に関するもののごとくであるとはいへ、たんに無思想の意地や、強気や、胆力の問題ではない。われわれ現代の日本人は、いつたい、どうしたら、そのやうな精神的な力を、近代的人間としての自覚の根柢に、むすびつけることかできるか、といふ問題なのだ。【以下略】
大熊はここで、哲学者の三木清が、終戦から一箇月以上経過した九月二六日、豊多摩刑務所で死亡した事実に言及しているのである。
終戦直後における三木清の死が、ほぼ同時代に、こういう切り口から問題にされていることは知らなかった。
この『国家はどこへ行く』という本は、なかなかユニークな本である。そのユニークなのは、簡素な目次のあとに、二〇ページにわたって、「内容細目」と称する「本文の要約」がついているところである。
ちなみに、上に引用した部分は、「内容細目」において、著者自身によって、次のように要約されている。
われわれの無気力についての反省の材料は、戦後にもある。反戦思想の嫌疑によつて拘禁されてゐた思想家を終戦後、救出の挙に出ることもなく獄中に死なしめた。追悼の行事や哀悼の文章において、その一事に触れて遺憾の意を表したものも見あたらぬ。終戦当日、朝鮮総督に要求をつきつけ、二万以上の愛国者を牢獄から解放させた呂運亨氏の場合。近代的人間としての根柢に、気慨を養成する必要がある。
今日の名言 2013・1・11
◎反省の材料が戦時だけにあつて、戦後にはないといふのではない
大熊信行の言葉。『国家はどこへ行く』(鼎書房、1948)の290ページに出てくる。上記コラム参照。
*お知らせ* 明日は、都合により、ブログをお休みします。なお、昨日の『新篇路傍の石』は、どういうわけか、アクセスが多く、歴代3位でした。このアクセス数だけは、全く予想がつきません。ちなみに、歴代1位は、中山太郎と折口信夫(昨年7月2日)、歴代2位は、殷王朝の崩壊と大日本帝国の崩壊(本年1月2日)です。