礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

『歌舞妓雑談』の序文「中村芝翫口上」の全文

2013-01-05 05:52:31 | 日記

◎『歌舞妓雑談』の序文「中村芝翫口上」の全文

 昨日の続きである。昨日は、三世中村歌右衛門の『歌舞妓雑談』から、歌舞伎に関わる名言を紹介したが、本日は、同書の序文「中村芝翫口上」を紹介することにしよう。
 なお、昨日も本日も、ネタ元は、森銑三『典籍叢話』(全国書房、一九四二)所収の「三世中村歌右衛門の歌舞妓雑談」というエッセイである。昨日は、このエッセイの初出を示すのを失念したが、『今昔』の一九三三年九月号である。

 扨〈サテ〉はや私儀は、当二月中村座のぶたいにおき升て〈マシテ〉、口上をもつて申上升たる〈モウシアゲマシタル〉通り、各様方の思し召〈オボシメシ〉のほどもかへりみませず、恐ながら日頃御当地御なつかしく存居升たる〈ゾンジオリマシタル〉所に拠なき〈ヨンドコロナキ〉訳合〈ワケアイ〉厶り升て〈ゴザリマシテ〉麗しき御顔を拝し升る〈マスル〉だんは、いかばかりか難有き仕合〈シアワセ〉にぞんじ奉り升る。昔より名人多きその中にて、ふつゝかなるわたくしも、かく役者のかずに入り升る事、まことに御ひいきつよき花の御江戸のいづれも様の御とりたてゆへと、心魂にてつし〔徹し〕升て、ありがたき仕合にぞんじ奉り升る。わけて申上升るは此小冊の儀に厶り升る。これはわたくし若年のみぎりより歌舞妓道の名誉の人々はなしおかれ升たる事ども、心得にも相なりますることゆへ、うけ給はり升るごとに、そのまゝ反古〈ホゴ〉の裏にかきしるし升ては、若きものどもに申きかせ〈モウシキカセ〉升るゆへ、つねづね手元に置升る〈オキマスル〉を、雙鶴堂〔書物問屋〕の主人目早く見つけ、達て所望いたし、二三日かしてくれいと申升るゆへ、イヤイヤこれは素人がたの御らうじたとて御なぐさみにもなるまいほどにととゞめ升たれども、ぜひともと申すあいだ、かしてつかはし升たれば、早速かきうつしまして、あまつさへおこがましき外題〈ゲダイ〉をつけて持参いたし升たゆへ、私も後悔いたし升たれど、もはや桜木にゑり升たる〔木版に彫った〕事なればいたしかたなく、右の訳合をつぶさに申上升やうにムり升。原来〈モトヨリ〉役者の儀に厶り升れば、眉をつくり升るより外は筆とる事はぞんじませず、かきざまの拙きば御見のがしのほどを、こひねがひ上奉り〈コイネガイアゲタテマツリ〉升る。先は〈マズハ〉右の趣かいつまみ升てあらあら申上奉り升る。寅三月、百戯園芝翫

 この本は、仙鶴堂鶴屋嘉右衛門と雙鶴堂鶴屋金助の両版元の合梓という形で刊行されたという。中村歌右衛門(芝翫)の口上によれば、雙鶴堂鶴屋金助が、強引に話を進めたもようである。
「寅三月」というのは、文化一五年(一八一八)三月のことである。同年は、四月に改元して文政元年となった。

今日の名言 2013・1・5

◎素人がたの御らうじたとて御なぐさみにもなるまい 

 三世中村歌右衛門の言葉。歌右衛門は、「歌舞妓道の名誉の人々はなしおかれ升たる事ども」を記録して、手元に置いていたところ、書物問屋の雙鶴堂鶴屋金助がこれに興味を示した。歌右衛門は、「素人の方がご覧になっても、おもしろくないでしょう」と言ってことわろうとしたが、雙鶴堂が強引で、結局、出版されるにいたった。上記コラム参照。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする