礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「一億総懺悔」論のルーツは、石原莞爾か

2013-01-09 06:11:15 | 日記

◎「一億総懺悔」論のルーツは、石原莞爾か

 昨日の続きである。大熊信行『戦争責任論』(唯人社、一九四八)の「首相宮と石原莞爾中将」から、昨日、引用した箇所に続く箇所を引用する。

 ところで、首相宮談話より二日前に紙上に発表された石原中将の談話は、すべての読者の記憶に新しかったので、両者の「吻合」〈フンゴウ〉を云々するものがあらわれたのも自然であった。ここには中将の郷里山形の新聞紙上にあらわれた一文を紹介しておくのがよいとおもう。一つには中将にたいする地方民の感情を窺知〈キチ〉する材料ともなるからだ。現在までのところ、中将にたいする批判的言辞は地方には乏しく、ただ三反歩一戸主食自給の主張が農民にあたえつつある妙な影響については、農村の指導者は困惑の体〈テイ〉であることを一言しておかねばならぬ。
 本県の一角鶴岡市に隠棲する石原莞爾中将が過般出京して以来、中央各紙は競ってその談を掲げたが、果然各方面に大反響を起している。外国紙は中将の談をもって最も真率かつ明快なる日本国民意思の表明と解し、日本国民が真にかくの如き態度を持するならば、世界各国との協和更正も期して待つべしとなしている。最も注目すべきは中華民国新聞で、特に黄華日報のごときは、過般中将談の全文を掲げ、その透徹せる東方道義観を礼賛し、「中国は日本国民を敵とせず、その前途また悲観の要なし」と極めて好意ある社説を掲げている。中将は常に、日支問題における日本人の不当なる優越感と支配意識を非難し、これあるかぎり日支間に真の親善も提携もみえずと通論していた。
 かつて首相宮が記者団と交された御談議の中にも、幾多中将の持説と吻合するものを拝し、殿下に対する中将の久しき御親近を知るわれわれとして感激に堪えないものがあった。真に卓越せる人物の価値は、その朝〈チョウ〉に在ると野〈ヤ〉に在るとを問わない。大詔下れるあの日〔八月一五日〕の黄昏〈タソガレ〉、ただ一戸、半期を掲げて寂然たる中将邸を訪れた記者に、その前庭に尻端折り〈シリハショリ〉の姿で黙々と野菜の手入れをしていた中将の素朴な童顔を瞼〈マブタ〉に描いて、感慨に堪えないものがある。(山形新聞昭二〇・九・八――文中「自邸」とあるを「中将邸」に、「筆者」とあるを「記者」に改めた)
 海外の輿論は石原中将に有利ではない 【この項、略】
 首相宮談話と中将談との「吻合」 さて首相宮談話の内容には新聞の伝えるところだと、つぎのような事項を含んでいることが窺われる。(1)国体護持はわれわれの血液の中に流れている一種の信仰である。(2)敗戦の原因には、戦力の急速な破壊、規則法律の濫発による束縛、国民道徳の低下等がある。(3)「この際私は官軍民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う。全国民総懺悔をすることがわが国再建の第一歩であり、国内団結の第一歩と信ずる。」(4)既耕地の再分配、国民皆農を主張したい。(5)言論を活発ならしむるために特高警察を是正し、憲兵の政治警察を全廃する。――そしてこれらの結びとして、明治元年、明治天皇が下し賜はった五箇條御誓文をこの際読むべきことが説かれたのである。
 いまこれを石原中将の談話にあらはれた思想についてみると、第一、国体護持は民族の信仰であるということについては中将の所説に持に聴くべきものがある。第二、敗戦の原因を国民道義の低下に求める考え方については、中将には特に甚だ多くの論述がある。第三、国民に懺悔を説くことにおいて、中将は最も熱心である。第四、国民皆農と耕地の再分配については、中将に別して独自の構想がある。第五、言論結社の自由についての主張は戦時においても中将が曲げることのなかつた持論である。特高警察、政治憲兵の廃止もまた終戦後の主張である。こうみるときに、首相宮が記者団と交わされた談話のなかに、幾多中将の持論と「吻合」するものを拝すると一地方紙が指摘したのは、極めて自然であったというほかはない。【以下略】

 大熊の「首相宮と石原莞爾中将」は、ここまでが約半分で、このあと大熊は、戦中における石原の著作や談話にあたって、その思想を検証すると同時に、それに論評を加えている。その作業は、非常に慎重であり、厳密である。
 また、すでにお気づきになった方もおられると思うが、大熊の文章は、非常に論理的にして明晰であり、アイマイなところがない。この点は、戦中戦後における大熊の思想性はともかくとして、大いに評価すべきところであろう。
 さて以上みたとおり、有名になった「一億総懺悔」(首相宮談話では「全国民総懺悔」)という言葉のルーツは、どうも石原莞爾の所説にあるらしい。この説は、インターネット上でも、ささやかれているようだが、論証がなされているわけではない。大熊の著作などを手がかりにしながら、しかるべき研究者がキチンと論証しておくべきであろう。
 大熊信行の『戦争責任論』については、ほかにも紹介したいところがあるが、数日おいてからになるだろう。

今日の名言 2012・1・9

◎全国民総懺悔をすることがわが国再建の第一歩

 東久邇宮稔彦首相宮の言葉。1945年8月28日、内閣記者団との会見で出たものという。新聞報道は、同月30日。ただし、大熊信行『戦争責任論』(唯人社、1948)13ページからの重引。上記コラム参照。

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