「絶望図書館」。
なんてひどい命名の本だろう。
図書館で見かけたとき、そう思った。
副題には、「立ち直れそうもないとき、心に寄り添ってくれる 12の物語」と書いてあった。
前書きに当たる部分に「絶望図書館 ご利用案内」が書いてあった。
この図書館は、「絶望的な物語」を集めてあるわけではありません。
「絶望から立ち直るための物語」を集めてあるわけでもありません。
絶望して、まだ当分、立ち直れそうもないとき、その長い「絶望の期間」をいかにして過ごすか?
そういうときに、ぜひ館内に入ってきてみていただきたいのです。
必ず何か、心にふれる物語に出会えるはずです。
(以下略)
そうか。
でも、今の自分は絶望しているわけでも、立ち直れずにいるわけでもない。
だけど、興味をひかれて、借りてきて読むことにした。
本来「第1章」などとすべきところを、「第1閲覧室」という表現にしていた。
テーマごとに閲覧室という設定にしてあるのが面白い。
以下に12の物語を紹介する。
◆第1閲覧室「人がこわい」
①[人に受け入れてもらえない絶望に]
児童文学棚 『おとうさんがいっぱい』 三田村信行 作 佐々木マキ 画
②[どう頑張っても話が通じない人がいるという絶望に]
SF棚(スラップスティック)『最悪の接触(ワースト・コンタクト)』 筒井康隆
③[たちまち「なごやか」になれる人々が怖いという絶望に]
エッセイ棚 『車中のバナナ』 山田太一
◆第2閲覧室「運命が受け入れられない」
①[起きてほしくないことが起きるのを止められない絶望に]
ミステリー棚(サスペンス)『瞳の奥の殺人』ウィリアム・アイリッシュ[品川亮 新訳]
②[ずっと誰も助けてくれないという絶望に]
口承文学棚 『漁師と魔神との物語(『千一夜物語』より)』 [佐藤正彰 訳]
③[人生の選択肢が限られているという絶望に]
現代文学棚 『鞄』 安部公房
④[恨みの晴らしようがないという絶望に]
韓国文学棚 『虫の話』 李清俊(イ・チョンジュン)[斎藤真理子 新訳]
◆第3閲覧室「家族に耐えられない」
①[離れても離れられない家族の絶望に]
日本文学棚 『心中』 川端康成
②[夫婦であることが呪わしいという絶望に]
アメリカ文学棚(奇妙な味)『すてきな他人』 シャーリイ・ジャクスン[品川亮 新訳]
③[家族に耐えられないという絶望に]
イギリス文学棚(意識の流れ)『何ごとも前ぶれなしには起こらない』 キャサリン・マンスフィールド[品川亮 新訳]
◆第4閲覧室「よるべなくてせつない」
①[家に帰ることの難しさという絶望に]
ドイツ文学棚(小さな文学) 『ぼくは帰ってきた』 フランツ・カフカ[頭木弘樹 新訳]
②[居場所がどこにもないという絶望に]
マンガ棚 『ハッスルピノコ(『ブラック・ジャック』より)』 手塚治虫
…とまあ、児童文学、SF、ミステリー、エッセイ、口承文学、現代文学、日本文学、海外文学、マンガ……といろいろなジャンルから物語が選ばれているのが、いかにも「図書館」らしい。
わずか2ページで終わる作品もあれば、物語の話者の視点がつかみきれない作品もある。
自分が所有している「ブラックジャック」の、ピノコが中心となって出てくる手塚マンガは懐かしいと思った。
私が面白さを感じたのは、ウィリアム・アイリッシュの「瞳の奥の殺人」。
手足を動かせず、口もきけず、文字も書かない主人公の女性が主人公。
息子が今晩殺されるということが分かっていながら、それを伝えられないという絶望。
その後、息子が殺されてしまったことや犯人、殺害方法などを他者にどう伝えるのか、そのストーリーの展開はなかなか面白かった。
今は何事に関しても全く絶望はしていないから、あまり寄り添ってもらえている気はしないまま読み終えてしまった。
でも、「絶望して立ち直れそうもないときに寄り添ってくれる」という視座から文学作品を選んだ編者頭木弘樹氏の視点は、興味深いなあと思った。
そして、最後に紹介されているフランツ・カフカの言葉に、深みを感じたよ。
本には、
悲しんでいる人を
助ける気持なんか、
ちっともないとしても、
本を読んでいる間は、
ぼくは本にしっかり
すがりついていられる。
フランツ・カフカ