新潟みなとトンネルの先は、海岸線を走る。
暑苦しいトンネルを抜けたから、あとはさわやかに走れるかと思っていた。
海の向うには、佐渡が見えるはずだが、この日は目を凝らさないとよく見えなかった。
すぐに、3年前に強制収容されたポイント(当時は36㎞ポイント)を通過する。
去年までのコースの逆走だが、少しのアップダウンがやけにこたえる。
体力的な限界を感じ始めていた。
スピードが上がらないばかりでなく、太ももがやけに重い。
ところが、まだ42kmの半分にも至っていないではないか。
「あと半分だよー。」などという声援は、かえって気持ちを落ち込ませる。
この辺りからは、顔を上げ声援に応える余裕はなくなっていた。
⑳6分59秒㉑6分48秒㉒7分28秒㉓6分54秒㉔7分45秒㉕7分45秒。
給水所が2か所あったこともあり、1km7分台が普通になってきた。
サブ4.5も、自己新も、おそらくサブ5も難しいだろう。
楽に走ってきたはずなのに、もう無理、という苦しさになってきた。
もう、この時点で、目標を「単なる完走」に置き換えることも仕方ないと思った。
そのくらい、体は悲鳴を上げ始めていた。
ようやく25km、関屋分水の河口にたどり着いた。
ここは、かつて30kmの通過地点。
初めてフルマラソンに挑戦したとき、体力が尽きてここまで歩いたが関門にかかった。
この先1kmに厳しい上りがある。
そこで、思わず歩いてしまった。
きつくて足が上がらないし、息も苦しい。
完走に目標を変えた以上、上り坂で歩くことも、一つの選択肢だ。
目の前に同様に歩いているランナーもいるが、懸命に走って追い越していくランナーたちに対して、引け目を感じてしまう。
坂を下ってから再び分水の河口に戻るまでの往復の5kmは、松林の中の道。
完全に歩くと走るの繰り返しになった。
この道は、初めて出場した年に、最初飛ばし過ぎて歩くしかなくて30kmで関門アウトになった道。
あの時以来久々に歩いてしまっている、この道。
情けないなあ、本来はここから勝負をかけるはずだったのに。
これでは、戦う前から負けを認めているような悔しさだ。
しかし、目の前の悔しさがすべて。
歩いては走り、走っては歩く。
28km付近で、女性2名のランナーの面倒を見ている人がいた。
おお、誰かと思えば、様々なレースで会うSIさんではないか。
SIさんには、今年初めの村上元旦マラソンや関川マラソンでも姿を見ている。
村上では、レース後に話を交わしたりもした。
彼は、歯科医関係だったが、それでも「メディカルランナー」というゼッケンをつけていた。
メディカルランナーゆえに、レース途中でああして世話をしていたのだろう。
ただのサブ4だけではない、SIさんの別のすごい姿を見た気がした。
それなのに、私は自分一人の面倒も十分に見られないという、へぼランナーだなあ。
SIさんにひと言声をかけ、しばらくは走った。
㉖7分56秒㉗7分24秒㉘7分53秒㉙9分54秒。
さっき初めて歩いた坂道の上りにたどり着いたが、やはり歩きを選択。
越えてからしばらくは下りを利して走る。
関屋分水の川沿いの堤防上の細い道になる。
もう陽射しはきつくないのだが、やはり暑く感じてしまい、沿道に応援する人もいるが、答えられず歩いたり、走ったりを繰り返すのみ。
㉚8分36秒㉛9分3秒㉜9分21秒㉝10分57秒。
当然だが、タイムはどんどん悪くなっていった。
せめてもの支えは、同様に苦しみながら歩くランナーの多さであった。
苦しんでいるのは、自分だけではない。
そんな思いで前の人の背中を見つめながら、歩いた。
抜いて行く人たちを、どうぞ、がんばって行ってください、と思いながら見送った。
私は、悲しいけど、後からゆっくり行くことしかできなくなっていますから…。
暑苦しいトンネルを抜けたから、あとはさわやかに走れるかと思っていた。
海の向うには、佐渡が見えるはずだが、この日は目を凝らさないとよく見えなかった。
すぐに、3年前に強制収容されたポイント(当時は36㎞ポイント)を通過する。
去年までのコースの逆走だが、少しのアップダウンがやけにこたえる。
体力的な限界を感じ始めていた。
スピードが上がらないばかりでなく、太ももがやけに重い。
ところが、まだ42kmの半分にも至っていないではないか。
「あと半分だよー。」などという声援は、かえって気持ちを落ち込ませる。
この辺りからは、顔を上げ声援に応える余裕はなくなっていた。
⑳6分59秒㉑6分48秒㉒7分28秒㉓6分54秒㉔7分45秒㉕7分45秒。
給水所が2か所あったこともあり、1km7分台が普通になってきた。
サブ4.5も、自己新も、おそらくサブ5も難しいだろう。
楽に走ってきたはずなのに、もう無理、という苦しさになってきた。
もう、この時点で、目標を「単なる完走」に置き換えることも仕方ないと思った。
そのくらい、体は悲鳴を上げ始めていた。
ようやく25km、関屋分水の河口にたどり着いた。
ここは、かつて30kmの通過地点。
初めてフルマラソンに挑戦したとき、体力が尽きてここまで歩いたが関門にかかった。
この先1kmに厳しい上りがある。
そこで、思わず歩いてしまった。
きつくて足が上がらないし、息も苦しい。
完走に目標を変えた以上、上り坂で歩くことも、一つの選択肢だ。
目の前に同様に歩いているランナーもいるが、懸命に走って追い越していくランナーたちに対して、引け目を感じてしまう。
坂を下ってから再び分水の河口に戻るまでの往復の5kmは、松林の中の道。
完全に歩くと走るの繰り返しになった。
この道は、初めて出場した年に、最初飛ばし過ぎて歩くしかなくて30kmで関門アウトになった道。
あの時以来久々に歩いてしまっている、この道。
情けないなあ、本来はここから勝負をかけるはずだったのに。
これでは、戦う前から負けを認めているような悔しさだ。
しかし、目の前の悔しさがすべて。
歩いては走り、走っては歩く。
28km付近で、女性2名のランナーの面倒を見ている人がいた。
おお、誰かと思えば、様々なレースで会うSIさんではないか。
SIさんには、今年初めの村上元旦マラソンや関川マラソンでも姿を見ている。
村上では、レース後に話を交わしたりもした。
彼は、歯科医関係だったが、それでも「メディカルランナー」というゼッケンをつけていた。
メディカルランナーゆえに、レース途中でああして世話をしていたのだろう。
ただのサブ4だけではない、SIさんの別のすごい姿を見た気がした。
それなのに、私は自分一人の面倒も十分に見られないという、へぼランナーだなあ。
SIさんにひと言声をかけ、しばらくは走った。
㉖7分56秒㉗7分24秒㉘7分53秒㉙9分54秒。
さっき初めて歩いた坂道の上りにたどり着いたが、やはり歩きを選択。
越えてからしばらくは下りを利して走る。
関屋分水の川沿いの堤防上の細い道になる。
もう陽射しはきつくないのだが、やはり暑く感じてしまい、沿道に応援する人もいるが、答えられず歩いたり、走ったりを繰り返すのみ。
㉚8分36秒㉛9分3秒㉜9分21秒㉝10分57秒。
当然だが、タイムはどんどん悪くなっていった。
せめてもの支えは、同様に苦しみながら歩くランナーの多さであった。
苦しんでいるのは、自分だけではない。
そんな思いで前の人の背中を見つめながら、歩いた。
抜いて行く人たちを、どうぞ、がんばって行ってください、と思いながら見送った。
私は、悲しいけど、後からゆっくり行くことしかできなくなっていますから…。