新潟シティマラソンから5日もたった。
この間に、出先の職場で、「私も歩いたけど、ゴールした時は高橋尚子のそばでした。」という男性に会った。
彼も、走ることができなくなって歩いていたら、高橋尚子さんの気合につられて一緒に走り、ゴールするまで引っ張ってもらったのだそうだ。
お互いに、あのオーラというか気合には、感嘆したのだった。
その翌日の出先でも、「隣接するところで働いている人が、タイムは悪かったけど、完走したんだって。」と聞き、名前を入力して調べてみたら、確かに出場していることやゴールタイムも知ることができた。
私の次のレースは、来月3日、胎内マラソンでハーフを走る予定である。
昨日は、自分の体と相談して(?)そろそろいいかな?と思った。
それで、シティマラソンマラソン後、初めて走りに出た。
アルビレックス新潟の勝利に気をよくして出たのである。
といっても、今回は、トレーニングではなくジョギングを楽しむ気分であった。
途中で、笹川流れマラソンや村上元旦マラソンのTシャツを着て走っているランナーたちとすれちがった。
おお仲間だ、と思った。
それ以外に、若者や中高年ランナーとも数人すれちがった。
ゆっくり走りながらも10kmを走ったのだが、5kmくらいで両脚に疲れを感じた。
まだ十分回復していないことがわかり、10km走るのは早かったかな?と思いながら家に帰った。
家のそばでジョギング後のストレッチを行っていると、薄暗くなったところを隣家の息子さんが同様にランニングスタイルで帰って来た。
2度ほど彼が走っている姿を見かけたことはあったが、今までRUNの話をしたことがなかった。
「どのくらい走ってきましたか。」と聞くので、今日は10㎞と答え、同様のことを聞くと20km走って来たとのこと。
新潟シティマラソンは、今年から参加料が高くなったから「卒業した」そうで、今年はその半額以下の参加費で来月のマラソンでフルを走るのだとか。
真っ暗になってしまったので、「お互い、がんばって走りましょう。」と言って話を終えた。
それにしても、こうして身近なところでランナー人口が増えているのだなあ、と感心した。
そして、フルマラソンに挑戦する人も多くなっているのだと心強くなった。
この間に、出先の職場で、「私も歩いたけど、ゴールした時は高橋尚子のそばでした。」という男性に会った。
彼も、走ることができなくなって歩いていたら、高橋尚子さんの気合につられて一緒に走り、ゴールするまで引っ張ってもらったのだそうだ。
お互いに、あのオーラというか気合には、感嘆したのだった。
その翌日の出先でも、「隣接するところで働いている人が、タイムは悪かったけど、完走したんだって。」と聞き、名前を入力して調べてみたら、確かに出場していることやゴールタイムも知ることができた。
私の次のレースは、来月3日、胎内マラソンでハーフを走る予定である。
昨日は、自分の体と相談して(?)そろそろいいかな?と思った。
それで、シティマラソンマラソン後、初めて走りに出た。
アルビレックス新潟の勝利に気をよくして出たのである。
といっても、今回は、トレーニングではなくジョギングを楽しむ気分であった。
途中で、笹川流れマラソンや村上元旦マラソンのTシャツを着て走っているランナーたちとすれちがった。
おお仲間だ、と思った。
それ以外に、若者や中高年ランナーとも数人すれちがった。
ゆっくり走りながらも10kmを走ったのだが、5kmくらいで両脚に疲れを感じた。
まだ十分回復していないことがわかり、10km走るのは早かったかな?と思いながら家に帰った。
家のそばでジョギング後のストレッチを行っていると、薄暗くなったところを隣家の息子さんが同様にランニングスタイルで帰って来た。
2度ほど彼が走っている姿を見かけたことはあったが、今までRUNの話をしたことがなかった。
「どのくらい走ってきましたか。」と聞くので、今日は10㎞と答え、同様のことを聞くと20km走って来たとのこと。
新潟シティマラソンは、今年から参加料が高くなったから「卒業した」そうで、今年はその半額以下の参加費で来月のマラソンでフルを走るのだとか。
真っ暗になってしまったので、「お互い、がんばって走りましょう。」と言って話を終えた。
それにしても、こうして身近なところでランナー人口が増えているのだなあ、と感心した。
そして、フルマラソンに挑戦する人も多くなっているのだと心強くなった。