小学校の算数や
小1で習う漢字の書き取り
など
できて当たり前のことは
どれだけテストですよ、と言われても
挑戦するには値しませんね、
というお話を前回しました。
できるに決まっていること、
過去に何度もやってきたこと、
頼めば誰かにやってもらえること
こんなことに取り組むのは
挑戦でもなんでもありません。
そのため、↑のことで成功しても、失敗しても
大して心や感情は動かないはずです。
読者の皆さんに価値観を押し付けるのは
好みではありません。
が、Ozaki自身の価値観をお伝えするならば
できるとわかっていることを繰り返し
行い続ける退屈な生き方はしたくないのです。
むしろ、
今の自分がうまくできないこと、
できるかできないかわからないこと、
そもそも人生で一度もやったことがないこと、
に体当たりし続けることが面白い取り組み
ではないか、と感じるのです。
想定以上にうまく行けば
「自分は神なんじゃないか」
(根が謙虚でないことがばれます(汗))
と思ってしまいますし、
手ひどく失敗した場合は
「こんなダサいことになってしまうなんて」
とわかりやすく落ち込みます。
正直に申し上げれば失敗は怖いです。
できれば失敗はしたくありません。
そして失敗する格好悪い姿を誰かに見られるのも
できれば避けたいと思っています。
それでも、
今の自分がうまくできないこと、
できるかできないかわからないこと、
そもそも人生で一度もやったことがないこと、
つまりは失敗におびえる気持ちを抱きかねない
そういう取り組みをしないと喜びは得られない、
というのがOzakiの考え方です。
失敗を恐れてできることだけやるという選択は
爆発的な喜びを得られるような
面白い取り組みを放棄すること
と言い換えられないでしょうか?
繰り返しますが、これはあくまでOzakiの価値観。
この価値観に従い無邪気に生きてきたので
獣医師免許を持っているにも使ったことがなく
証券アナリスト資格は形だけ持っており
マニアックな安全管理の個人事業を営んでいる
という「こじらせ系」の人生であることを
自覚せざるを得なくなりました。
ただ、自分自身は周期的にやってくる
大きな挑戦とそれを克服した成功体験が
面白くてしょうがない、とも感じています。
こういった生き方をしていますので、
今の自分がうまくできないこと、
できるかできないかわからないこと、
そもそも人生で一度もやったことがないこと、
に取り組む場合でも自分で痛い目に遭いながら、
成功を目指すという面白い取り組みを
放棄する気にはなれません。
新しく何かに挑戦する場合、
世の中には確実に自分よりも上手にできる方は
大勢存在しています。
そういう方に教えて頂くことはあっても
自分が挑戦したいことを「丸投げ」する、
という選択肢はありえないのです。
そうしないと挑戦そのものが面白くないですし、
何より自分が経年優化できないことを
理解しているからでしょう。
令和最初のお正月を迎えたタイミング。
せっかくの機会ですので
皆さんにとって
「面白い取り組み」
が何かを考えて頂くなど
皆様に多少の刺激になっていれば幸いです。