今日は朝から雨が降ったり止んだり、関東から東海地方に掛けては大変な事に成っているらしく
お見舞い申し上げます。
此処しばらくはグータラな生活を送っていたので、今日は古ネタブログです。
1771年4月24日午前8時頃、石垣島の南南東35km付近を震央とするM7.4の地震が発生した。
此に伴い発生したのが「明和の大津波」である。宮古・八重山地方では、12,000人程が犠牲になった。
この大津波(過去数回起こった大津波も含め)によって打ち上げられた岩塊(琉球石灰岩)が津波石である。
津波石の存在が確認されているのは、宮古島南東部・下地島・多良間島・石垣島南東~東部
黒島そして波照間島である。
これは宮古島の南東部にある東辺安名崎(あがりへんなざき)であるが、岬の高台上と北東側(画面右側)
の海岸に多数の津波石が見える。
これが津波石である証拠の一つに、岩に刻まれたノッチの向きがバラバラである。
この津波石の大きさがどの程度のものかは、画面に映っている人物と比べてみれば解ると思います。
ちょうど干潮時だったので、この人達はタコ獲りをしているのかな?
これは岬の南西側の海岸です。震央の位置からすれば津波はこちら側の海岸に打ち寄せたはずですが
津波石が見あたりません。二三転がっているのは、崖から剥がれ落ちた転石です。
なぜでしょう?一つの可能性として、こちら側の海岸には幅の狭いサーフベンチ(海蝕台)が有るだけで
外海はいきなり水深50m程に落ち込んでいます。すなわち津波石は海底に沈んでしまった。
ならば反対側に多数有る津波石は、全て岬を越えて流された物と考えなければなりませんが?
もう一度北東側の海岸を見てみましょう。
浅い海(裾礁)とその沖合に離礁が広がっています。南西側の海岸の様に、常に海蝕崖が崩壊し
転石が生じる所ではノッチは形成されないので、これらの津波石は沖の離礁から剥ぎ取られた
ものと考えられます。
巨大津波にとっては、長さ2.0kmの岬などは右も左も関係なく飲み込んでしまったのだと思います。