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人外花境

暇人の何でも自然観察日記

主に野歩き山歩き.たまに旅歩きの写真ブログ

青函トンネル

2006年04月13日 | 今日の雑感雑記

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 今から約30年前、青函トンネル建設中の写真です。場所は北海道方横取基地、トンネ ル内を通過中に列車火災が発生したとき、ここえ列車を引き込んで消火する場所です。

当時はまだ、高度経済成長期で、世の中それ行けドンドンの時代でしたから、掘って掘っ て掘りまくって、52kmを堀抜いてしまいました。各国からの視察団も多数訪れ、色々な質 問をしていました。その中でも有名なのが、旧ソビエトの視察団だったと思いますが「この トンネルは、一時間当たり何台の戦車を運搬出来ますか」。当然と言えば当然の質問で すが、時代背景を感じます。実際日本の自衛隊が、実物の戦車を台車に乗せて、走行実 験を行いました。

 その後時代が変わり、青函トンネルは世界三大バカに一つ加わっただけ(万里の長城・ エジプトのピラミット・戦艦大和、その他諸説有り)と酷評された。中には、海水を引き込ん で水没させてしまえ、と言う御仁もいた。経済原理主義者は、今も昔も居るものですな。

 トンネル掘削の進行に伴い、日々刻々と変わる地下の様子を見てきた者にとっては、地 球の歴史の成せる技をかいま見る思いがしました。とは言っても52km間の歴史は、たか だか2000万年です。地球の歴史46億年、宇宙の歴史137億年に比べれば、一瞬の歴史 ではありますが。

 


日本の夜空は明るい

2006年04月10日 | 写真

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 オーストラリアの砂漠の真ん中では、天の川の光で新聞が読めるそうですが、本当でしょうか?周囲数百キロ以内に、人工の光が全く無い状態ではそうらしいですね。日本国内では望むべきもありません。星空大好き人間にとっては、光害は公害です。この灯台の光も、指向性が有るとは言え最終的には散乱し、夜空を明るくしています。夜空が明るければ、灯台が無くても足下の方が暗いことが良く解ります。


宇宙

2006年04月08日 | 今日の雑感雑記

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 宇宙とは、本来古今東西を表す漢語であることはご存じの通り。時間と空間を表す言葉です。物質と空間と時間を体系ずけたのはアルバート、アインシュタインですが、その遥か2000年以上前から中国人は、時間と空間を概念として区別する言葉を持っていたのです。この写真は、付加体の岩峰越に見た北極野です。この地における付加体は、せいぜい二億年ですが、写っている星は200~300光年にすぎません。

 目の前の二億年に思いをはせるか、はたまた見えざる137億を見据えるか、これも又個々人の概念の問題です。見るは感覚、思うは概念、はたしてどちらが正しいんでしょうか?物理と数学の世界は、感覚を超越しているが、実験的には証明されている。

 眼に見えぬ物、肌で感じ得ぬ物、これを実在として生きて行くためには、第二のコペルニクス的展開が必要な時代なのでしょう。かのアインシュタインが、最後まで疑問に思っていた素粒子の遠隔作用などはその最たるものです。


春まだ浅き啄木の墓

2006年04月01日 | 今日の雑感雑記

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 今日は4月1日、春を探しに立待岬へ行ったが、まだ一面枯野の岬に春を見つけること は出来ませんでした。啄木一族の墓も、春浅い寒風の中に佇んでいた。熱心な啄木ファ ンが居るとみえて、綺麗な花が添えられていました。墓を裏からみれば、小島の磯と詠ん だ大森浜方向を向いています。

 「蟹とたわむれている暇が有ったら働け」などと無粋なジョークが有りましたが、何となく 今様のフリーターを連想してしまい、プータローの我が身と重ね合わせ身につまされるも のが有りました。貧しさに泣き濡れても、それなりに働いていた啄木はエライ。蟹とたわむ れていても、それをちゃんと詩に詠んでしまうとは、もっとエライ。私だったら「今夜のおか ずゲット!」ぐらいのことしか思い浮かびませんがね。

 ところで、啄木が蟹とたわむれていた具体的場所はどこでしょうか?啄木の像が有る啄木小公園は日之出町の海岸に有ります。此処でしょうか?いえ違います。なぜなら「小島の磯の白砂に」と詠んでいます。磯とは石の多い浜辺を指します。該当する場所は、現在の住吉漁港周辺だけです。青柳町の自宅からトコトコと坂を下っていったのでしょう。