人外花境

暇人の何でも自然観察日記

主に野歩き山歩き.たまに旅歩きの写真ブログ

今日の明けの明星と朝日

2023年12月30日 | 写真

2023年12月30日 午前6時13分、日の出約一時間前、南東の空に明けの明星、金星が輝いていました。

今年も残すところあと二日、長い一年だったのか短い一年だったのか、この頃時間の感覚が無くなってきた。

これはコンデジの手持ちで露出  1/2 秒、手ブレ無し、まだまだボケちゃいませんぞ。

 

同、午前7時10分、今日の日の出、元旦の朝の天気はあてにならないので、初日の出ということで使い回そうかな。


天の光と地上の光

2023年12月28日 | 写真

夜明け前の光が寝静まった街の空に広がる、魑魅魍魎と人間の世界との時間の境目だ。

 

強烈な光の日が昇ると街の風景が一変し、人間たちの活動の時間が始まる。

 

季節が巡ると柔らかい光が新緑の森を包み込む、昔の人々は其処かしこに八百万の神々を見たのだろう。

 

おおいぬ座のシリウスとりゅうこつ座のカノープス、全天で一番目と二番目に明るい星だが、

何処まで行っても地上の光はついてくる。

 

 


地球温暖化と太陽柱

2023年12月25日 | 自然観察

今朝の日の出には薄っすらと太陽柱を伴っていた。

かっては空高く伸びる真っ赤な太陽柱が見られたものだが、この頃はめったに現れなくなった。

これも地球温暖化により、冬でも大気中を漂う氷の結晶が少なくなったためか、地球環境の変化が色々と顔を出してきた。


復活の日

2023年12月23日 | 日記

2023年12月23日、「復活の日」そんな名前の映画が有ったような、

でもこれは冬至の翌日の朝日だから復活の日。

これからまた日一日と陽が長くなる、なんことはない地軸の傾きと地球公転面の関係なんだが。

そんなこととは知らない昔の人は、太陽神の復活と信じていたんだろう、いいな昔の人は単純で。

雪が解け新緑の季節が早くこないかな、と思うのは今も昔も変わらぬ願い。


今日は冬至

2023年12月22日 | 日記

今日は冬至、札幌の空は晴れていますが、外は寒そうだ。

「門松や 思えば地獄の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」

夏至や冬至も一里塚みたいなもんだ、年寄りにとっては地獄への一里塚。

 


38年前の函館本線駅舎の写真 その5

2023年12月18日 | 写真

八雲駅を出ると次は「わしのす」、駅舎の写真が無かったので当時はこの短いホームだけ。

 

山崎駅、山崎は付近の地名から。

 

黒岩駅、近くの海岸に黒い岩がある。

 

北豊津駅、信号所だった駅、付近には何も無い。

 

国縫駅、アイヌ語「クンネ・ナイ(黒い川)」の当て字、かってはここから瀬棚線が出ていた。

 

中ノ沢駅、かっての地名はアイヌ語「モ・ペッ(支流)」の当て字で紋別だったが、

彼方此方に有る地名だったため中ノ沢に改めたとか。

 

長万部駅、室蘭本線との分岐にある駅、長万部は国鉄城下町みたいな所だった。

駅名はアイヌ語地名「オ・シャマム・ペッ」または「オ・シャマンペ」の当て字。

北海道の地名はアイヌ語地名の当て字が多いため、結果として難読地名が多くなってしまった。

そばの合田(ごうだ)は駅構内での立ち売り「もりそば」がカニ飯同様に有名だった。

 

グーグルマップから現在の(とは言っても2~3年前か?)長万部駅前風景を切り出してみた。

そばの合田はまだ営業しているみたいですが、新幹線の駅が出来るとこの風景も一変してしまうでしょう。

以上、38年前の函館本線函館駅から長万部駅までの駅舎と駅前風景でした・・・でお終い。

 


38年前の函館本線駅舎の写真 その4

2023年12月17日 | 写真

森駅を出ますと次は桂川駅があったのですが、なぜか写真がありませんでした。

この石谷駅は現在廃駅です。

 

この本石倉駅も現在廃駅です、赤い屋根の建物が駅舎のように見えますが、こちらは郵便局。

 

石倉駅、ここからが現存する駅、名前の由来は不明とのこと。

 

落部駅、見た感じは古くないですね、建て替えたばかりかな。

アイヌ語「オ・テシ・ウン・ペッ」昔はこの付近鮭漁の地であった。

 

野田生駅、アイヌ語「ヌプ・タイ」の地名に由来する。

 

山越駅、アイヌ語「ヤム・ウン・ナイ(栗の実の多い沢)」から。

昔はここが和人の住む地とアイヌの住む地の境、付近に関所が有った。

 

八雲駅、元の地名はアイヌ語「ユウ・ラプ・ペッ(温泉の流れ下る川)」であったが、

その後古歌「八雲立つ・・・」から八雲と呼ぶようになった。

この地の背後に遊楽部岳・ゆうらっぷだけ(1276m)が有る。


38年前の函館本線駅舎の写真 その3

2023年12月16日 | 写真

函館本線砂原線(砂原回り)といっても、鉄道オタク以外の人には分からないだろうと思い地図を載せた。

現存する駅は6駅で全て無人駅、一日7本程度は走っているようだが、利用者は居るのかな。

 

1985年当時、大沼駅を出ますと次は現在廃駅となった池田園に止まります。

明治時代に池田さんという人がこの付近を公園化する計画だったため駅名が池田園となった。

 

銚子口駅これも現在廃駅、大沼の東北部は銚子の口の様に細長くなっているので地名となった。

 

鹿部駅、アイヌ語で「シカペ(あほうどり)」といった所で鹿部は当て字。

 

渡島沼尻駅、原野の中にポツリと駅舎のみ、駅名の由来は諸説ありよくわかりません。

 

渡島砂原駅、砂原はアイヌ語の「シャラ(広い砂州)」の当て字、広い砂州とは現在の砂崎か。

 

掛澗駅、駅名は船かかりまという地名による。

 

尾白内駅、アイヌ語「オ・シラル・ウン・ナイ」の当て字、此処まで来ると駒ヶ岳が良く見える。

原野の中にポツリと一軒家的駅舎だ、次は東森駅だが写真が無かった。

北海道新幹線が札幌まで開通したら、砂原線は廃線となるのか、それとも貨物線としてのこすのか?


38年前の函館本線駅舎の写真 その2

2023年12月14日 | 写真

仁山信号所、何も無い山の中に何で駅が有るかというと、此処はスイッチバックなのです。

次の駅大沼駅との標高差は45mですが、短距離で峠を越さなければならないため、

当時の馬力の無いSLでは登り切れなかったため。

 

大沼駅、かっては軍川(いくさがわ)駅と呼ばれていた、砂原線との分岐点です。

右奥の山は北海道駒ヶ岳、砂原線はこの山の海側を走る。

 

大沼公園駅、特急が止まる駅、観光客はこの駅で乗り降りする。

この駅が無くなったら、車を持たない観光客はどうなるのだろう。

 

赤井川駅、1985年当時としても古いタイプの駅舎だ、車が一台も無い、相当田舎の駅だ。

 

駒ヶ岳駅、かっては宿野辺(しゅくのべ)と呼んでいた、アイヌ語地名の当て字。

 

姫川駅、当時でも利用客のほとんどいない駅だったんだろうな。

 

森駅、アイヌ語で「オニウシ」(樹木の茂った所)を和人が意訳して森と言う、と何かに書いてあった。

ここから砂原線が分岐して大沼駅(軍川駅)へ至る。

駅舎よりも右側の古い建物が気になる、コカ・コーラの看板には「森名物 いかめし」と書いてある。

次回は砂原線の駅舎です。


38年前の函館本線駅舎の写真 その1

2023年12月13日 | 写真

 

北海道新幹線が札幌まで開通した場合、平行在来線の函館~長万部間の旅客線は廃止になります、

貨物線としては残すらしいが。そうなれば函館~長万部間の各駅・各駅舎も廃止になってしまいます。

1985年5月に国鉄民営化前に撮った各駅舎の写真が有りましたので、この年寄りが人生を廃止する前に

当ブログに掲載しておきます、でなければこの写真は永遠にお蔵入りになってしまいますから。

尚、すでに廃線になった支線の瀬棚線は2006年3月18日~29日の、松前線は2006年10月1日~6日の、

江差線は2011年9月7日の当ブログに載せてあります、当時を懐かしく思う方が居りましてら見てやって下さい。

38年前の函館駅、1988年9月18日が最後の航海となった青函連絡船の乗り場でもあったのです。

 

函館駅前広場の様子、左奥に函館ドックのクレーンが、その下に連絡船乗り場へ向かう長い通路が。

 

函館を出ますと次は五稜郭駅に止まります、閑散とした駅前風景、今はどうなっているのだろう。

駅名は観光名所になっている五稜郭から、ちょっと距離が離れているが。

 

桔梗駅、明治時代この辺りは桔梗村と呼ばれていたのが駅名の由来だそうです。

この当時駅前には必ずベンチが有りました、外で列車待ち?住民の社交場だったのかな?

 

大中山駅、駅名は地名の大中山村に由来する、駅前に松や梅の植栽が有り良い雰囲気だ。

電話ボックス・郵便ポスト・コカコーラの自販機は駅前の三点セットだった。

 

七飯駅、駅名の由来はアイヌ語地名の当て字、この駅舎は当時としては新しいもののようだ。

 

渡島大野駅、現在ここには北海道新幹線の新函館北斗駅があり、昔の面影は皆無だ。

ここで在来線に乗り換え函館市内へ向かう。

今日はここまで、次回は仁山信号所から出発します。