暇つぶしに「ビジュアル古典文学 おくのほそ道」ピエ・ブックス を読んでいた。
ビジュアルと銘打っているだけあって、ページ数の半分は写真で写真集としても楽しめる。
「月日は百代の過客にして・・・・」で始まる江戸深川から、岐阜の大垣までの旅程を
原文・現代語訳・解説・芭蕉が見たであろう情景の写真とそれぞれの地での句から成る。
此処でだらだらと感想文を書く気は毛頭無いが、1つだけ へぇ~ と思ったのは、
当時すでに松尾芭蕉という人物は、日本全国に名の知れた著名人であったことである。
暇なバカ人間は結構ミーハーで、すぐに感化されてしまうので「我も又、漂泊の思ひやまず
海浜にさすらへ・・・・」なんて気になってしまうのです。
でもバカ人間は生まれも育ちも蝦夷地なもんで、蝦夷地から見た奥の細道は南西諸島の
ジャングルの中の小径のイメージしか浮かんでこない。
本来「奥」とは、北方の辺鄙な所を意味していた。沖縄本島の北の端に「奥」という名の
集落が有る。(今では辺鄙な所ではありませんよ)
蝦夷地より北の辺鄙な所は北方領土ぐらいしか無いので、跳ね返り180度Uターンして
南西諸島まで行ってしまうのだ。
今日は朝からシトシト雨降り、頭の中で「わけいってもわけいっても緑のジャングル」
などとつぶやきながら八重山諸島への旅行計画を建てているのであった。
秋も一段と深まってきました。四季を色で表せば青春・朱夏・白秋・玄冬となって
秋のイメージは白らしい。
なんで白なの?人生も秋に成れば頭の毛が白くなるから、では白くなる前に
ハゲてしまった人はどうするんだ・・・・なんて突っ込み入れたくなります。
北原白秋なんて歌人が居ましたが、北の野の秋ですからかなり寒々しいペンネームです。
秋の野原は枯野と相場が決まっていますから、芭蕉の辞世の句も
「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」なんでしょうね。
このごろパチリした一枚に俳句を添える「フォト俳句」なんてのが流行っているそうで。
そこで暇人も一句「アララギと錦織りなす秋の空」・・・・おそまつ。
アララギ・イチイ・オンコの実、今年は豊作です。
小さな干し柿みたいなニシキギの実。
今日はGX200コンデジとペットボトルの水一本持って銭函天狗岳へお気軽登山です。
これは正午12時前後、なのに影がこんなに長くなっている。冬ですねぇ。
いつもは見通しのきかない林の中の登り道、この時期は明るい枯れ木の山です。
銭函天狗岳は手軽で良い山なんですが、あまり面白くない。
尾根に取り付くまでの沢の中の道が常にドロドロ・グチャグチャ。
低山なのに生意気にもロープ場の急登が有り息が切れる。
急登を過ぎればガラガラの岩場で足場が悪い登山道。
頂上の岩場にマムシが蜷局(トグロ)をまいている。(これはたまたま)
頂上直下の岩場から雪の手稲山と秋空の雲です。
春香山方面です。
頂上から眺めた石狩湾のいつもの風景、これを見るために登っているようなもの。
でも登り一時間じゃ運動不足解消にもならないな。
今日は何処へも出かけなかったので、散歩の途中で拾ってきた物を写真に撮ったりして暇つぶし。
長径2cm程の小さな貝殻、名前は分からないがペラペラの半透明なので写真に撮ってみた。
縞々が見えます。暇人は暇なので数えてみたら約120本有りました。
貝殻の縞々は成長の記録、ではどの様な時に縞々が出来るのでしょうか。
木の年輪同様一年に一本?2cmの貝が120才・・・・あり得ません。
一説によると干満潮の一サイクルで一本形成されるそうです。
潮の流れが速い時、多くのプランクトンを餌として捕食出来るため成長が早まるとか。
大潮の時以外は一日二回有りますから、この貝は生後60日で死んだことになります。
ついでにこんな物を撮ってみた。
右が星砂(バキュロジプナシ)左が太陽の砂(カルカリナ)です。
上の楕円形の物は何かって?今人気の道産米 ゆめぴりか だよ~ん。