昨日今年初めて桜を見た、半分葉桜になっていた。
昔は桜の花が咲くのを見ると、やっと冬が終わった春がやってきた、と嬉しくなったものだが、
歳をとるとそんな感慨も無くなった。
歳をとると感性が鈍くなる(これをボケの始まりと言う)のか、
四季の巡りも単なる時間の流れになってしまうのか。
でも新緑に桜、やっぱりいいね。
昨日今年初めて桜を見た、半分葉桜になっていた。
昔は桜の花が咲くのを見ると、やっと冬が終わった春がやってきた、と嬉しくなったものだが、
歳をとるとそんな感慨も無くなった。
歳をとると感性が鈍くなる(これをボケの始まりと言う)のか、
四季の巡りも単なる時間の流れになってしまうのか。
でも新緑に桜、やっぱりいいね。
雪が解けた裏山へ春を探しに行ってきた、奥山はまだ雪山だった。
雪解け水を集めて増水した裏山の滝、滝壺は大きなポットホールになっている。
雪解け前から咲いているナニワズの花。
ツルアジサイの若葉です。
ハンノキの若葉です。
ニリンソウが咲き出した。
地味ですがネコノメソウの花です。
これも雪解け直後でなければ見られないシロキツネノサカズキモドキ。
道端のミズナラの木に芽吹きはまだない。
山の木々はまだ枯れ木状態、石狩湾の向こうの山はまだ冬山だ。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「時間とは運動の前後を計測した数である」とのべました。
エントロピーの概念が無かった時代ですから、これはこれで正しい。
「運動の前後」とは「物事の変化」ですから時間は現在から未来 (t) だけでなく過去へ (-t) 流れてもかまわない。
運動方程式の t には二乗が付いているので、時間を反転させた (-t) であっても形は変わりません。
すなわちオオウバユリの種の抜け殻が、春の芽生えになってもいいのです。
いいのですが、ここでエントロピー増大の法則を持ち出すと長くなるので、今日はここまで。
崩れかけた石垣、これならより具体的に時間の流れが見えるかも、いいかげんなカメラで撮りました。
何時もの裏山へ散歩に行ってきた、路面は除雪されているが山の斜面にはタップリと積雪有り。
この道をどんどん進んでゆけば、あの山の頂上まで繋がっています、もう二度と行けないだろうが。
南向きの斜面では根開きがだいぶ進んできた、沢の水量も雪解け水で少し増えた感じ。
雪の解けた木の根元にフキノトウが三個顔を出していた、本日の春の兆しはこれだけ。
食い物が無くなった冬期間、エゾシカが木の皮を剥いで食べた跡、木の皮なんて不味いだろな。
オニグルミの冬芽です、まだ全然春の気配はなし、五月の連休に雪降ることだってあるからね。
昨夜また裏山に雪が降った、さっぱり春が来ない、今日も一日天気が悪そうだ。
4月1日は珍しく快晴の夜だったので家の窓から星空を撮ってみた。
中央下に月が、そのやや左上にスバルが、そのさらに左側にV字形したヒアデス星団がかろうじて写った。
ヒアデス星団の真上の明るい星は木星、月と木星を結ぶ線が黄道、惑星がグルグル回っている面です。
これは午後9時頃の西の空、日が暮れ星が見え始める頃はスバルのあるおうし座が南の空高くに見えるはず。
半年後の夏には黄道12宮の反対側に有るさそり座が南の空高くに昇ってきます。
昔の夜空は街明かりも無ければ大気汚染も無し、スマホなんかも無かったので眼も良かったはず。
羊飼いたちは夜暇なものだから、夜な夜な星空を見上げては妄想を膨らませていた結果が星座の始まり。
2000年前のシリア・レバノンあたりの話です、今じゃ妄想を膨らませようにも星はこれしか見えません。
4月1日は会計年度の始まり、いろいろな日本社会の制度もこの日に合わせて動き出す。
年度替わりがなんで1月1日じゃなく4月1日なんだろう、
理由は明治19年(1886年)に国の予算編成上そうしただけらしい。
私ら年金生活者にとってはどうでもいい話だが、365日が日曜日の身にとっては季節変わりの方が重要だ。
春夏秋冬、何をしようか色々と考えなければならない、時間つぶしも大変だ、残り少ない時間なのにね。
春は雪の下から顔を出すフキノトウ、緑の芽吹きも嬉しいが、みそ汁に入れたりフキ味噌なんてのもいいね。
年寄りがそんなものばかり食っていれば早死にするよ。
夏は何といっても色鮮やかな緑の世界、青い空に白い雲、老い先短い年寄りも若返るような・・・気がする。
秋は紅葉の季節、この色彩の妙がいいね、ではあるが明日は我が身枯れ落ち葉。
冬は何もない雪原を黙々と歩く、日が短くなってきた、もうすぐ日が暮れる、
なんか彼岸への道を歩いているような気がしてきた。
いやだいやだ、どうしても年寄りの話は暗くなってしまう。
銭函天狗山に霧雲、層雲がかかる様になりました、山の雪も解け春近しの今日この頃。
今年は昭和100年だそうで、そう言われれば昭和生まれの私はずいぶんと年を取ったような気がします。
では昭和150年の世の中はどんなでしょう、人のいない荒涼たる原野の中に建つ廃墟と化したマンション群。
50年後の日本の人口は8700万人と予想されています、人口の大半は都市部に住んでいるでしょうから、
郊外や地方都市の住宅街はこうなってしまう。
人が住んでいたとしても、それは最貧国から流入してきた外国人でスラム化しているでしょう。
昔あった香港の九龍城を思い出しました、九龍城は1994年に取り壊されました。
1985年の香港です、まだ山の斜面にへばり付く様にスラム街が有りました。
こんな写真を持っている私はやはり年寄りかな。
今日は朝から本格的雨降り、これで一気に雪解けが進むだろうが何処へも出かけられない。
木の根元の雪が解けてきた、「根開き」春の季語ですが山野草の花が咲き出すのはもう少し先だ。
手稲前田森林公園から手稲山(1023m)、昨年7月に脳梗塞になってからは登っていない、登れなくなった。
今年こそは雪が解けたら、たとえ杖ついても登ってやるぞと決心しているのだが、どうなることやら。
昨日は胃カメラの定期検査で病院へ行ってきたが、歩いたのはたった3,400歩、足腰の衰えは遺憾ともしがたい。
公園に居たヒヨドリが木の枝から飛び立った瞬間、シャッタースピードは1/800秒だが翅の先端はブレている。
さすが恐竜の子孫だけあって運動能力は凄い、ましてやこの身の不甲斐なさとボヤキボヤキ。
南西諸島のとある島の道端に咲いていたアサガオの花、のつもりで撮ってきたがサツマイモの花だった。
芋の蔓の切れ端を捨てておけば勝手に野生化して花を咲かせる、ヒルガオ科の植物の生命力は逞しい。
サツマイモは沖縄から薩摩へ伝播、原産地は中央アメリカだから、やはりサツマイモは熱帯植物だ。
せっかく溶けた路面の雪も昨日の嵐でもとどおり、三月の季節は行ったり来たり。
青い海に白い砂浜とくれば花はグンバイヒルガオ、四月上旬の宮古島で。
朝、雪の街を出発すれば、その日のうちにこんな海辺で一休み、便利な世の中になったもんだ。
東京在住の方でも、昔は国鉄と定期航路を乗り継いで西表島まで一週間かかりました、と年寄りが言っていた。
冬の虹、虹が出ているということは雪ではなく雨だ、春へ一歩近づいているかも。
裏山へ散歩に行ってきた、あまり人が歩いていないのか踏み跡が細い、山はまだ春遠しの感。
南向きの山の斜面の雪が解けていた、緑の新芽はまだ無い、今日窓の外は吹雪だ。