夕日が遮るもののない日本海の先へ落ちてゆく、この先を真っ直ぐ進めばロシアのウラジオストックだ。
春から初夏へ、なぜかこの時期になると夕焼けが美しくなる。
山の方へ行ってみると、春一番ニョキニョキと芽を出してきたのはオオアマドコロ。
山菜として食することが出来るが、強心作用が有るため食べ過ぎないように。
マイズルソウが咲き始めちゃいました。
今日はチョイト暇つぶしに石狩川河口へ行ってみた。
まだ雪解けの濁流が海へ流れ込み、波が立っていなければ何処までが陸地で、何処からが海なのか解りませんでした。
春夏秋冬いつ来ても、此処は荒涼の石狩浜なのです。
荒涼の石狩浜にも、ハマハタザオの花が満開だった。
あとはハマエンドウぐらいしか咲いていませんでしたな、今時は。
5月も下旬、木々の葉もそろそろ初夏の装い、でも青葉若葉の新緑は何度見てもいいですな。
足元の草むらに目を向ければ、なにやらゴチャゴチャと咲いている。
先日のブログで「花弁は葉の変化したもの」と書いてしまったが、これに該当するものは、このツルアジサイのようにユキノシタ科の装飾花(花弁ではない)でした。すみません。
では普通の花はというと、葉で作られたフロリゲンというたんぱく質が茎頂や葉の付け根など花芽が出来る場所へ運ばれて、花芽を作る遺伝子のスイッチを入れる。
スイッチの入った一様な細胞は、がく・花弁・おしべ・めしべなどの器官へと分化する。
どの細胞がどの器官になるかは、三つの遺伝子の組み合わせで決まり、これをABCモデルという。
Aのみの遺伝子ではがく、A+Bでは花弁、B+Cではおしべ、Cのみではめしべへと分化する・・・・と言われている・・・・花についてのうんちくでした。
今日はRICOH GX200と水を一本だけ持って銭天へお気軽登山をしてきた。
って言うか、足腰心肺ともにズタボロ状態なので、重たい物はたとえハシ一本といえども持って歩きたくないだけです。
ましてやデジタル一眼レフカメラなんぞは、ありゃあ人殺しの道具ですぜ、あの重さは。
山道も緑鮮やか、段々初夏の雰囲気になってきた。
どうせゆっくりノンビリとしか登れないので、道端のミドリニリンソウを探しながらの登山です。
ちょいと時期外れで花がいたんできた。
ふつうのニリンソウとのツーショットです。
UPで一枚。花弁はもともと葉が変化したもの、先祖がえりですかね?
頂上からの何時もの一枚、山は緑なり、手稲山の雪も消えてしまった。
マニラヤシの並木道が何処までも真っ直ぐに続づく伊良部島のシュガーロード。
漢字で「島」と書けばislandのことであるが、平仮名または片仮名で「しま・シマ」と書けば「ヤクザのシマ荒らし」のように、縄張りとかテリトリーの意味に用いられる場合が多い。
沖縄でももちろんislandを意味するが、民俗学的村落も「しま」と言う。
また「島豆腐」・「島ラッキョウ」・「島酒(泡盛)」のように地元の産物に島を付けて区別する。
以前宮古島市の伊良部島で宿泊施設のフロントの女性の方に「近くに床屋さん有りませんか」と聞いたら「○○の近くに有りますが、伊良部の人はすぐに休むからやっているかどうか」と言っていた。
本人も伊良部島の方であるから、自嘲気味に言ったのかと思っていたが、どうもニュアンスが微妙に異なる。
後程伊良部島の地図を見たら、北から「佐和田」・「長浜」・「国仲」・「仲地」・「伊良部」と五つの集落があり、かの床屋さんは伊良部の集落に有るのであった。
フロントの女性の方は伊良部以外の集落の出身の方で、すなわち「シマ」が違うのだろう。
通り一本隔てても「シマ」が違えば民族が異なるのが、沖縄のシマ社会の実情なのでした。
ヤマト(本土)でも似たような例が有る?・・・・ですな。
ちなみに伊良部島の東側、フェリーが着く港のある佐良浜は池間島からの移民の集落であり、伊良部島の島民は「ああ、あそこは池間だから」と言いほとんど外国あつかいである。
昨日は天気が良かったので札幌の円山(標高225m)へ登って暇つぶししてきました。
登山口に立つ「天然記念物 円山原始林」の石柱です。
天然記念物の指定が大正10年(1921年)のことですから、91年前のことです。
これだけの年月だけでも十分に原始林に成ってしまいそうですね。
円山公園内には立派なブナの木も有ります。
群生している北限は黒松内町だが、人の手で植えれば大抵の場所で生育する。
カツラの大木があちこちに有ります。
カツラの大木の下を行く登山者です。
円山頂上から新緑越しに見る札幌市街地です。
エゾリス、こんなのが足元をチョロチョロ走り回っているのを眺めて暇つぶし。
円山公園のチューリップ、あまりにも綺麗だったので思わずパチリ。
公園内の石碑の裏側、暇つぶしにキョロキョロしていたらこんなものが目に留まった。
ダイナマイトによる発破の衝撃が放射状に走った跡です。