この疑問について、テーマや人物は違うが私も取り上げてきた。真鍋さん同様、典型的な例のひとつが、女子プロテニスの大坂なおみさんが21歳を前に悩んだすえ日本国籍を選択した時だった。
其の苦悩は、青色LEDを開発した徳島の某企業技術者が会社と特許権利を争い敗れた結果、日本社会に絶望して米国ヴァ―クレイで研究に没頭する道を選んだ時もそうだった。何故そうなるのか?
こういう人たちが問いかける「複数国籍と生まれ育ったアイデンティティーは並立デキルのに、何故否定するのか?」この根源的な問いに日本人のどこまでが気付いてるのだろうか?
<国籍を変える=IDを捨てる?> 日本以外の大多数の国民はそう観ていない。 取り敢えず、外国籍の金志尚さんの目から視た『国籍観を巡る彼我の違い』に耳を傾けよう。。
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地球温暖化予測の礎を築き、今年のノーベル物理学賞に選ばれた真鍋淑郎・米プリンストン大上席気象研究員(90)。その真鍋さんに対し「日本人として誇らしい」という称賛の声が上がっている。
でも、ちょっと待ってほしい。真鍋さんは米国籍を持つ、正真正銘の米国人である。こういう時だけ「日本人扱い」するのはどうなのか。なんだか違和感を覚えた。
「ドクター、シュクロウ・マナベ」。6日(日本時間7日)、米ワシントンの科学アカデミーで、自身の名がアナウンスされた真鍋さんがノーベル物理学賞のメダルと賞状を受け取ると、会場からは大きな拍手が起きた。
愛媛県出身の真鍋さんは東京大で博士号を取得後の1958年に渡米。以来、ほぼ一貫して米国で研究生活を送ってきた。「日本では人々は常に他人に気を使い、調和を保つ。
アメリカでは他の人がどう思っているか気にせず、やりたいことができる。私は調和を保つのが苦手なので日本に戻りたくなかったのです」。受賞決定直後の記者会見では、日本に戻らず国籍も変えた理由についてこう語った。米国での暮らしがよほどしっくりくるのだろう。
一方、日本では岸田文雄首相が「日本人として大変誇らしい」と述べるなど、真鍋さんを「日本人」として称賛する言動が目につく。メディアもまたしかりだ。米国籍取得者を含むという注釈をつけてはいたが「日本人のノーベル賞受賞者は28人目」と報じたところもある。自国出身者の快挙だから、当然と言えば当然なのかもしれない。でも、どうにもモヤモヤする。そもそも米国籍の日本人って何だ?
* 「国際的にアピールできる時は『日本人』という枠をがっと広げ、そうじゃない時はぐっと狭める。そんな日本社会の性質がよく表れています」。こう話すのは、昭和女子大特命講師で社会学者の
ケイン樹里安(じゅりあん)さん(32)である。「ハーフ」を巡る問題などに詳しく、自身も米国人の父と日本人の母を持つ。
日本は、国籍法第11条で「日本国民は、自己の志望によって外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」と定めている。これに基づき、真鍋さんも米国籍を取った時点で法律的には日本人で
なくなったことになる。ちなみにオランダのマーストリヒト大の調べによると、世界で複数国籍を容認するのは2020年時点で76%に上る。
つまり、複数の国籍があることは国際的にはごく自然なもので、日本のように元の国籍を放棄させるのは極めて少数派なのだ。
「海外では、ルーツやアイデンティティーを奪うことには慎重であるべきだという考えが根底にあります。それに対して日本は国家がそれらを簡単に奪ってしまう状況にありながら、功績を残した時だけ『日本人』の領域を恣意(しい)的に広げている。今回がまさにそうなのですが、表層的には拡張しても実質的には拡張しない。このギャップに本質的な問題があります」。ケインさんはそう指摘する。
「海外では、ルーツやアイデンティティーを奪うことには慎重であるべきだという考えが根底にあります。それに対して日本は国家がそれらを簡単に奪ってしまう状況にありながら、功績を残した時だけ『日本人』の領域を恣意(しい)的に広げて
いる。今回がまさにそうなのですが、表層的には拡張しても実質的には拡張しない。このギャップに本質的な問題があります」・・ケインさんはそう指摘する。
★ 振り返れば、4年前にも似たようなことが起きている。日系英国人作家のカズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を受賞した時だ。イシグロさんは長崎出身だが、住んでいたのは5歳まで。それでも「日本人性」を見いだそうとする言説が多く見られた。やはり世界に誇るべき快挙があった時は、日本人の側に引き入れようとする意識が強く働くということか。「ハーフと呼ばれる人たちも含めて、境界線の上に置かれている人たちは時に内側、時に外側と揺さぶられる状況があります。
経済的な利潤や政治的な思惑と結びついて、あっという間に立場が変わってしまうのです」
◆ 真鍋さんのノーベル賞受賞に沸き立つ日本。そんな母国の状況を、遠く離れた地で複雑な思いで受け止めた人もいる。「一旗揚げれば祖国の英雄。でも無名で終わればただの棄民なのでしょうか」。
今年でスイス在住20年になる岩村匡斗(まさと)さん(44)はオンラインでの取材に、こんな胸の内を明かした。
岩村さんはもともと留学生としてスイスに渡り、現地の大学を経て葉巻販売会社に就職。異国の地で苦労を重ねながらも必死に働き、5年前には永住に近い在留資格も得た。今のところ日本に戻る
具体的な予定はなく、今後の生活や仕事のことを考えてスイス国籍の取得を検討している。申請すれば認められる公算は大きいそうだが、日本国籍を失うことから二の足を踏まざるを得ないという。
「言葉を完璧に覚え、文化も身につきました。友人や家族もジュネーブにいます。そうした中でスイス国籍を取得したいという思いになるのはごく自然なことです。国籍がないと、仕事上で制約を受けることもあります。でも、なぜそのことによって、日本国籍を剥奪されないといけないのでしょうか。私のアイデンティティーが何かと言われれば、それは日本です」
岩村さんら欧州在住の男女8人は18年3月、外国籍取得後も日本国籍を持つことなどの確認を求め、東京地裁に提訴した。だが今年1月の1審判決は訴えを棄却。現在、東京高裁で控訴審が行われているが、そんな中で飛び込んだのが真鍋さん受賞のニュースだった。
〇 「もちろん、素晴らしい快挙だと思います」。そう前置きした上で岩村さんは、その時に覚えたある違和感について教えてくれた。「最初に『あれ』と思ったのが、アメリカ人なのに漢字で紹介
されるんだなということでした。文部科学省や首相官邸のサイトでも漢字で紹介されていましたから。というのも、私たち原告の中には既に日本国籍を失い、日本に戻っても公的文書などで、
もう漢字では表記されなくなった人がいます。漢字には親の思いが込められているので、国籍喪失に伴う非常にセンシティブな問題です。そういう人たちからすれば、『何であの方は漢字なの?』
という気持ちになってしまうのです」
★☆ 国籍がなくても国を挙げて祝福される人がいる一方で、祖国とのつながりを絶たれたように感じる人がいる。ではその線引きはどこにあるのか。岩村さんの目には、日本の対応がご都合主義と映る。
「海外に行って結果が出たら偉い。でも結果が出なかったら日本を捨てた人たちだと。そういう考え方は人間の尊厳を深く傷つけます。公平に私たちのことを見てほしい」
◎▲ グローバル化が進展し、日本を飛び出して活躍する人たちが増えている中、そもそも国籍法の規定自体が「時代遅れ」だという指摘もある。岩村さんは「これから世界で活躍する可能性がある
子供たちに、自分たちと同じ苦しみや問題を抱えてもらいたくない」と力を込める。前出のケインさんも「少なくとも民間人で言えば、複数国籍を持つことで国に不利益を生じさせることは考えづらい。
現地の国籍を取れない、あるいは、 現地国籍を取得することで日本国籍を剥奪されるデメリットの方がはるかに大きい」と訴える。日本出身者の受賞に一喜一憂する時代なのだろうか。
その前にもっと向き合うべきことがある。
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皆さん。此処までお読みになり、もう気付かれたのではないか? それは【原籍に拘る出自宿命意識 vs 個人と国家集団への在籍感覚】の違いである。前者は<ある個人が地上の何処で生きようが、
生まれた土地の名札に縛られるのは当然>との考え方。後者は<何処で生まれようが、其の個人が偶々席を置いたクニの名札を使うだけ>との意識だ。 両者の決定的違いは何か??
要は『生み落とされた場所だからではなく、モノご心ついてからのアイデンティティーとは、人生の中で当人が選ぶもので二つあっても良い』と認めるかどうかである。これも<個人vs集団>の問いだ。
其の苦悩は、青色LEDを開発した徳島の某企業技術者が会社と特許権利を争い敗れた結果、日本社会に絶望して米国ヴァ―クレイで研究に没頭する道を選んだ時もそうだった。何故そうなるのか?
こういう人たちが問いかける「複数国籍と生まれ育ったアイデンティティーは並立デキルのに、何故否定するのか?」この根源的な問いに日本人のどこまでが気付いてるのだろうか?
<国籍を変える=IDを捨てる?> 日本以外の大多数の国民はそう観ていない。 取り敢えず、外国籍の金志尚さんの目から視た『国籍観を巡る彼我の違い』に耳を傾けよう。。
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地球温暖化予測の礎を築き、今年のノーベル物理学賞に選ばれた真鍋淑郎・米プリンストン大上席気象研究員(90)。その真鍋さんに対し「日本人として誇らしい」という称賛の声が上がっている。
でも、ちょっと待ってほしい。真鍋さんは米国籍を持つ、正真正銘の米国人である。こういう時だけ「日本人扱い」するのはどうなのか。なんだか違和感を覚えた。
「ドクター、シュクロウ・マナベ」。6日(日本時間7日)、米ワシントンの科学アカデミーで、自身の名がアナウンスされた真鍋さんがノーベル物理学賞のメダルと賞状を受け取ると、会場からは大きな拍手が起きた。
愛媛県出身の真鍋さんは東京大で博士号を取得後の1958年に渡米。以来、ほぼ一貫して米国で研究生活を送ってきた。「日本では人々は常に他人に気を使い、調和を保つ。
アメリカでは他の人がどう思っているか気にせず、やりたいことができる。私は調和を保つのが苦手なので日本に戻りたくなかったのです」。受賞決定直後の記者会見では、日本に戻らず国籍も変えた理由についてこう語った。米国での暮らしがよほどしっくりくるのだろう。
一方、日本では岸田文雄首相が「日本人として大変誇らしい」と述べるなど、真鍋さんを「日本人」として称賛する言動が目につく。メディアもまたしかりだ。米国籍取得者を含むという注釈をつけてはいたが「日本人のノーベル賞受賞者は28人目」と報じたところもある。自国出身者の快挙だから、当然と言えば当然なのかもしれない。でも、どうにもモヤモヤする。そもそも米国籍の日本人って何だ?
* 「国際的にアピールできる時は『日本人』という枠をがっと広げ、そうじゃない時はぐっと狭める。そんな日本社会の性質がよく表れています」。こう話すのは、昭和女子大特命講師で社会学者の
ケイン樹里安(じゅりあん)さん(32)である。「ハーフ」を巡る問題などに詳しく、自身も米国人の父と日本人の母を持つ。
日本は、国籍法第11条で「日本国民は、自己の志望によって外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」と定めている。これに基づき、真鍋さんも米国籍を取った時点で法律的には日本人で
なくなったことになる。ちなみにオランダのマーストリヒト大の調べによると、世界で複数国籍を容認するのは2020年時点で76%に上る。
つまり、複数の国籍があることは国際的にはごく自然なもので、日本のように元の国籍を放棄させるのは極めて少数派なのだ。
「海外では、ルーツやアイデンティティーを奪うことには慎重であるべきだという考えが根底にあります。それに対して日本は国家がそれらを簡単に奪ってしまう状況にありながら、功績を残した時だけ『日本人』の領域を恣意(しい)的に広げている。今回がまさにそうなのですが、表層的には拡張しても実質的には拡張しない。このギャップに本質的な問題があります」。ケインさんはそう指摘する。
「海外では、ルーツやアイデンティティーを奪うことには慎重であるべきだという考えが根底にあります。それに対して日本は国家がそれらを簡単に奪ってしまう状況にありながら、功績を残した時だけ『日本人』の領域を恣意(しい)的に広げて
いる。今回がまさにそうなのですが、表層的には拡張しても実質的には拡張しない。このギャップに本質的な問題があります」・・ケインさんはそう指摘する。
★ 振り返れば、4年前にも似たようなことが起きている。日系英国人作家のカズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を受賞した時だ。イシグロさんは長崎出身だが、住んでいたのは5歳まで。それでも「日本人性」を見いだそうとする言説が多く見られた。やはり世界に誇るべき快挙があった時は、日本人の側に引き入れようとする意識が強く働くということか。「ハーフと呼ばれる人たちも含めて、境界線の上に置かれている人たちは時に内側、時に外側と揺さぶられる状況があります。
経済的な利潤や政治的な思惑と結びついて、あっという間に立場が変わってしまうのです」
◆ 真鍋さんのノーベル賞受賞に沸き立つ日本。そんな母国の状況を、遠く離れた地で複雑な思いで受け止めた人もいる。「一旗揚げれば祖国の英雄。でも無名で終わればただの棄民なのでしょうか」。
今年でスイス在住20年になる岩村匡斗(まさと)さん(44)はオンラインでの取材に、こんな胸の内を明かした。
岩村さんはもともと留学生としてスイスに渡り、現地の大学を経て葉巻販売会社に就職。異国の地で苦労を重ねながらも必死に働き、5年前には永住に近い在留資格も得た。今のところ日本に戻る
具体的な予定はなく、今後の生活や仕事のことを考えてスイス国籍の取得を検討している。申請すれば認められる公算は大きいそうだが、日本国籍を失うことから二の足を踏まざるを得ないという。
「言葉を完璧に覚え、文化も身につきました。友人や家族もジュネーブにいます。そうした中でスイス国籍を取得したいという思いになるのはごく自然なことです。国籍がないと、仕事上で制約を受けることもあります。でも、なぜそのことによって、日本国籍を剥奪されないといけないのでしょうか。私のアイデンティティーが何かと言われれば、それは日本です」
岩村さんら欧州在住の男女8人は18年3月、外国籍取得後も日本国籍を持つことなどの確認を求め、東京地裁に提訴した。だが今年1月の1審判決は訴えを棄却。現在、東京高裁で控訴審が行われているが、そんな中で飛び込んだのが真鍋さん受賞のニュースだった。
〇 「もちろん、素晴らしい快挙だと思います」。そう前置きした上で岩村さんは、その時に覚えたある違和感について教えてくれた。「最初に『あれ』と思ったのが、アメリカ人なのに漢字で紹介
されるんだなということでした。文部科学省や首相官邸のサイトでも漢字で紹介されていましたから。というのも、私たち原告の中には既に日本国籍を失い、日本に戻っても公的文書などで、
もう漢字では表記されなくなった人がいます。漢字には親の思いが込められているので、国籍喪失に伴う非常にセンシティブな問題です。そういう人たちからすれば、『何であの方は漢字なの?』
という気持ちになってしまうのです」
★☆ 国籍がなくても国を挙げて祝福される人がいる一方で、祖国とのつながりを絶たれたように感じる人がいる。ではその線引きはどこにあるのか。岩村さんの目には、日本の対応がご都合主義と映る。
「海外に行って結果が出たら偉い。でも結果が出なかったら日本を捨てた人たちだと。そういう考え方は人間の尊厳を深く傷つけます。公平に私たちのことを見てほしい」
◎▲ グローバル化が進展し、日本を飛び出して活躍する人たちが増えている中、そもそも国籍法の規定自体が「時代遅れ」だという指摘もある。岩村さんは「これから世界で活躍する可能性がある
子供たちに、自分たちと同じ苦しみや問題を抱えてもらいたくない」と力を込める。前出のケインさんも「少なくとも民間人で言えば、複数国籍を持つことで国に不利益を生じさせることは考えづらい。
現地の国籍を取れない、あるいは、 現地国籍を取得することで日本国籍を剥奪されるデメリットの方がはるかに大きい」と訴える。日本出身者の受賞に一喜一憂する時代なのだろうか。
その前にもっと向き合うべきことがある。
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皆さん。此処までお読みになり、もう気付かれたのではないか? それは【原籍に拘る出自宿命意識 vs 個人と国家集団への在籍感覚】の違いである。前者は<ある個人が地上の何処で生きようが、
生まれた土地の名札に縛られるのは当然>との考え方。後者は<何処で生まれようが、其の個人が偶々席を置いたクニの名札を使うだけ>との意識だ。 両者の決定的違いは何か??
要は『生み落とされた場所だからではなく、モノご心ついてからのアイデンティティーとは、人生の中で当人が選ぶもので二つあっても良い』と認めるかどうかである。これも<個人vs集団>の問いだ。