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静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 増える獣害 vs ”狩りガール”増加 ≫  おお!  ここまで女性は元気  男児は何処に?

2017-06-12 16:34:39 | トーク・ネットTalk Net
💛 狩猟免許狩りガール急増で最多 “ジビエ”人気背景に https://mainichi.jp/articles/20170612/k00/00m/040/017000c?fm=mnm
・ <和歌山県によると、記録が残る1979年度以降の県内の狩猟免許取得者数は、81年度には3368人を数えたが、その後は減少傾向となり、2000年代
  半ばには1600人台に落ち込んだ。60歳以上の割合が現在7割弱と高齢化も進んでいる。>
・ <一方、ここ数年は2000人近くまで増え、盛り返しの兆しが見える。中でも注目されるのが女性ハンターの顕著な増加だ。00年代前半までは一貫して
  10人未満だったが、11年度に15人となり、13年度は25人、さらに14年度には34人。男性に対する割合こそまだ低いが、急増ぶりが目立つ>。
・ <全国でも13年度に2600人超の女性が免許を取得した。>

 ⇒ 女性で狩猟に関心を抱き、免許取得まで進む人が増えているとの報道を見るにつけ、私は「嗚呼、時代が変わったな」との想いをそっと口にのぼらせる。 
此の驚きは、ブラスバンドメンバーの8割以上が女子生徒になっている現実に接した時の衝撃というか、あの感慨と同じだ。
 元来、女性は男性に比べ、動物を可愛いと思う気持ちは旺盛ながら、殆ど全ての女性と言ってよいほど(魚類含む)動物が食肉として食卓に上るプロセスを観るのも想像するのも、嫌う。 この一般論を貴方は否定されまい。
 近代日本文化に生まれ育った女性に特有なのか、外国女性との比較においてどうなのか知らないけれども、私は此の現象が記者のいうように”ジビエブーム”だけで括れるのか、疑問無しとしない。  ケモノ肉として従来は敬遠気味だった動物肉の味を発見した人が増えてきたことが家畜以外の動物へのタブー感を崩しつつあるにせよ、純粋に食欲だけが其の起爆剤か?    

これは、”性の役割分担”への懐疑が浸透しつつあり、何事も興味を抱き、未知で新しいことも恐れない若者らしいマインドが、どうやら男性より女性の方に強く育っているということではなかろうか? 反対に、若い男性でそのようなマインドが育たないとすれば、その構造分析が重要だろう。
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書評 070-4 止め 「音楽する日乗」  久石 譲(ひさいし じょう)著   2016.8.刊  小学館

2017-06-12 10:41:37 | 書評
          【4】考える・・・音楽とユダヤ人、西洋音楽の通史    【5】創る・・・音楽を創る、21世紀に何を創るか
* 【1】から【3】までは、<指揮ということ、音楽を通して何を伝えるか、人間の感覚(聴/視)と音楽>について久石氏が考える事を縷々述べている。
 【4】では西洋音楽史を見渡し、特にユダヤ人が果たしてきた貢献に触れつつ、20世紀以降の現代社会における「音楽」がどうなってゆくのか? 
 について持論をのべ、同氏は今後どうしたいと思っているのか、【5】の対談で抱負を語っている。 
 思えば、演奏家・作曲家・指揮者・音楽評論家は内外問わず多くの立派な人が居る。だが、私の狭い読書範囲ながら、久石氏の本書ほど、鳥瞰的かつ実務現場の当事者感覚あふれる音楽論は目にしたことがない。 まさに評論家的言説の対極を窮める内容であり、関心のある方は一読を薦めたい。
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 久石氏はイスラエル・フィルを聴いて思ったことを”ユダヤ人と芸術表現全般”に展開している。私はここでハタと我が膝を打った。なるほど、名だたる作曲家はもとより、器楽演奏家或いは指揮者に占めるユダヤ人は19世紀から現在に至るまで圧倒的に多い。
 著名なユダヤ人、いちいち名を挙げるのは割愛するが、これに関し私が抱いた妄想は、同氏が【3】で指摘した<時空認識と音楽><時間軸と空間軸座標上の構築物>を巡る叙述こそ、音楽/芸術に限らず、科学技術はもとより、哲学から宇宙認識に及ぶユダヤ人の優秀さを裏付ける証左でもあるのではないか? である。 
* 妄想を更に肥大させてみよう。メソポタミア文明、エジプト文明期の壮大精緻な建築技術・天体測量の発想と技術などは、今でいう”戦略性・戦略的思考法”の産物であり近代科学技術の母体にもなった。 「出エジプト記」で描かれた一族とは何らかの理由で王朝を追われた一群であり、彷徨える民となったがゆえに、今日
<ユダヤ人>の呼称で呼ばれる人々のDNAに、上に述べた”戦略性・戦略的思考法”の産物が純粋培養の如く蓄積された。

 さて、ご承知のように、19世紀末でピークアウトした西洋音楽は平均律を飛び出し、シェーンベルクの「12音音楽(技法)」に進む。無論、19世紀までの音楽が変貌する社会的背景には、国民国家発展によるブルジョワ層と音楽会の変化、レコード技術発明による音楽大衆化の深化、アメリカにおけるジャズの発達と西欧へのリバウンス効果などが見逃せない。 また、ジャズの隆盛に付随する中東/アフリカンビートの影響も。これら音楽の大衆化は、伝統的西洋音楽ではなく、寧ろ
ポピュラーミュージックで存在理由を確立し、華開いた。
 久石氏は、20世紀以降の現代音楽に共通する<音楽の3要素:リズム/メロディー/和声>の否定で得られたものは何もない、と絶望した。19世紀にピークを迎えた『クラシック』音楽が400年を経た今も世界中で広く演奏され聞かれる理由であろう。
 民族/文化を問わぬ現代音楽の試みへの失望を物語る20世紀以降、これからの音楽を久石氏は何を目指すか? 
  最後で氏が語る言葉は、”<時代の語法>に忠実に、自分が生きる時代の日常に寄り添った音楽を追い求めたい”だ。 私には含蓄深い。     < 了 >

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