長く本コラムを留守にしていたが、長崎と佐賀に旅していた為で、お許し願いたい。
★ 初日、長崎の西およそ19Kmに浮かぶ端島(はしま)通称「軍艦島」へ。あいにくの曇り空が島に近づくにつれ、雨模様に。なんと、波浪高すぎて、
接岸したものの、渡り梯子が飛ばされる可能性を船長が予見。危険なので止む無く上陸は断念。
☆ 戦後日本の工業を支えたエネルギーが石炭から石油に転換されるまで、如何に炭鉱が誇りに満ちた仕事であり、炭鉱夫の家族が日本のどこよりも先端且つ
豊かな生活を送っていたか、パンフレットや船内のDVDで繁栄を謳歌した当時の写真や映像から痛いほどわかった。3種の神器はどこよりも早く100%普及。
炭鉱夫の多くは日給だったそうだが、月給換算では何と昭和30~40年代通じ、大卒初任給の4倍あったという。 然も、建物は全て鉄筋コンクリート造り。
高層アパートが狭い島に林立するが、エレベーターが設けられなかったのは何故か? その豊かさからすれば不思議だなと私は首を捻った。
だが答えは簡単。 今の高齢化社会と違い、エレベーターを必要とする年齢の居住者など居なかった、ということなのだろう。
* エネルギー転換に伴う炭鉱離職者家族の舐めた辛酸。60年代年前半の激変を記憶する私の世代にとり、栄華の痕跡を留める廃墟を前に味わう無常観は余りにも
辛かった。私が過ごした中学へは北海道の美唄炭鉱から移り住んだ家族の男子数名が転入してきたが、離職者住宅に居たのは僅か2年ほど。高校へ入る前に
何処かへ行ってしまったのだ。船の乗客の9割は若い世代だった。 彼らに此の廃墟はどう映り、廃墟は何を教えたのだろう?
◆ 接岸不能で高島炭鉱のあった高島へ。炭鉱博物館には鉱夫たちの使った器具などが陳列されている。石炭そのものを観たことも使ったこともない世代が
主流となった今。 彼らは何を感じているのか? 表情を読もうとしたが、何も読めなかった。 < つづく >
★ 初日、長崎の西およそ19Kmに浮かぶ端島(はしま)通称「軍艦島」へ。あいにくの曇り空が島に近づくにつれ、雨模様に。なんと、波浪高すぎて、
接岸したものの、渡り梯子が飛ばされる可能性を船長が予見。危険なので止む無く上陸は断念。
☆ 戦後日本の工業を支えたエネルギーが石炭から石油に転換されるまで、如何に炭鉱が誇りに満ちた仕事であり、炭鉱夫の家族が日本のどこよりも先端且つ
豊かな生活を送っていたか、パンフレットや船内のDVDで繁栄を謳歌した当時の写真や映像から痛いほどわかった。3種の神器はどこよりも早く100%普及。
炭鉱夫の多くは日給だったそうだが、月給換算では何と昭和30~40年代通じ、大卒初任給の4倍あったという。 然も、建物は全て鉄筋コンクリート造り。
高層アパートが狭い島に林立するが、エレベーターが設けられなかったのは何故か? その豊かさからすれば不思議だなと私は首を捻った。
だが答えは簡単。 今の高齢化社会と違い、エレベーターを必要とする年齢の居住者など居なかった、ということなのだろう。
* エネルギー転換に伴う炭鉱離職者家族の舐めた辛酸。60年代年前半の激変を記憶する私の世代にとり、栄華の痕跡を留める廃墟を前に味わう無常観は余りにも
辛かった。私が過ごした中学へは北海道の美唄炭鉱から移り住んだ家族の男子数名が転入してきたが、離職者住宅に居たのは僅か2年ほど。高校へ入る前に
何処かへ行ってしまったのだ。船の乗客の9割は若い世代だった。 彼らに此の廃墟はどう映り、廃墟は何を教えたのだろう?
◆ 接岸不能で高島炭鉱のあった高島へ。炭鉱博物館には鉱夫たちの使った器具などが陳列されている。石炭そのものを観たことも使ったこともない世代が
主流となった今。 彼らは何を感じているのか? 表情を読もうとしたが、何も読めなかった。 < つづく >