静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

書評 070-3 「音楽する日乗」  久石 譲(ひさいし じょう)著   2016.8.刊  小学館

2017-06-06 15:38:28 | 書評
 承前 5/22 & 23               【3】知る・・・聴覚(音楽)/視覚(絵画)vs時間軸/空間軸 
★ この【3】は実に内容が深遠かつ哲学論でさえある。人間は<意識>をどのように形成するのか、そこに視覚/聴覚がどう関わっているのかという「認識論」
 である。 内容は大変面白いのだが、正確に伝わらない恐れを知りつつ、紙幅の制限があるので要点のみ記す。・・・即ち、
 (1)聴覚と視覚では脳中シナプスでの伝達速度に差があり、聴覚の方が(人間も動物も)視覚よりも速い。此のズレから生じる認識の違いがそのままでは
    <意識>が構成できない。そこで、その違いを埋める機能として『言葉』ができた(と久石氏は養老孟氏との対談から引く)。
   ⇒ 言葉は「あ」だけでは意味がもてず、「あした」とか「あなた」と続いて初めて意味をもつ。「あした」と読むには時間が経過する。時間軸上の経過で
     意味や関係性が決まるものは≪論理的構造≫をもつ。 それは音楽も同じで、「ド」だけでは意味がなく、「ドレミ」「ドミソ」などと続けて意味をもつ。
    多くの人は音楽を情動的と捉えているが、実は極めて論理的な構造を有するものであり、その論理性こそ”音楽的”ということだと同氏は言う。
     一方、絵画は時間経過を内包せぬから論理構造をもたない。
  * 言葉と音楽の関係について、本書では展開していない。 関心のある方は<音と言葉:フルトヴェングラー><音楽と言語:T/G/ゲオルギアーデス>を。

 (2)視覚には「時間」がない。聴覚には「空間」がない。。目が耳を理解するには「時間概念」が必要になり、耳が目を理解するには「空間概念」が要る。
    ← 速い話、写真や絵に「時間」は映らないし、音楽に「空間」は描けない。・・・映った・描けたと思うのは脳が想像を働かせているに過ぎないのだ。

 (3)<メロデイーとリズム>は時間軸座標上に在り、<ハーモニー>は空間軸上に構築される。よって、「時空概念」を論理的構造にもつ音楽は、時間軸と
    空間軸に作られた建造物だということになる。

然し、(2)に述べた制約を克服すべく、画家は構図の工夫や光と影で絵画に「時間の流れ」を描こうとし、作曲家は自然音の模写や和声イメージで楽曲に「空間の広がり」を持ち込もうとした。   ← フェルメール<牛乳を注ぐ女>におけるミルクの滴り・・・・ベートーヴェン<交響曲「田園」>の鳥のサエズリ
ここが芸術の面白く楽しいところだ。 私事で恐縮だが、たまたま絵画(墨絵)と音楽(楽器演奏)の両方を楽しむ己を顧み、なぜ自分が芸術に心安らぐのか解明できていなかったのだが、この久石氏の叙述が解決にとても役立ったことを申し添えたい。                   < つづく >
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