まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

創造都市(CREATIVE CITY)07-井上ひさし『ボローニャ紀行』-

2009-10-18 17:14:04 | お話し・スピーチ speech

創造都市の好例としてボローニャがとりあげられることが多いようです。

 

 

 

ボローニャについては井上ひさし氏の『ボローニャ紀行』(文芸春秋 2008)を興味深く読んだことがあります。改めて、創造都市との関連で紐解いてみます。

 

 

 

ボローニャはイタリア半島中部で地中海側(西)にあるローマと、北部でアドリア海側(東)にあるベネチアのちょうど中間点に位置するまちです。人口は約38万人で、最古の大学都市として知られています。

 

 

 

この都市をこよなく愛する井上ひさし氏(そういえば今年の5月、天王洲で井上ひさし作栗山民夫演出『きらめく星座』を楽しみました)が創造都市としてのボローニャを、関係者へのインタヴューを通してユーモアあふれる筆致で紹介してくれます。大のボローニャファンなので大いに贔屓目であることは確かですが、創造都市としてのボローニャが何を大事にして何を実行しているのかが楽しく理解できます。以下いくつかの項目に分けて紹介させていただきます。

 

 

 

<都市/国家>

 

 

 

本論に入るところで井上氏は、都市と国家の関係を整理しています。ボローニャに限らずイタリアでは、自分の身近な環境、都市空間を大切に思っていることは確かですが、国は遠い存在として余り関心を持っていないという傾向を指摘します。「国という抽象的な存在ではなく、目に見える赤レンガの街、そしてそこに住む人のために働く、それがボローニャの精神だ」ということです。これはまさに創造都市という考えが注目される欧州において、国民国家・福祉国家に多くを期待するのではなく自分たちの問題を自分たちで、自分たちの都市で解決していこうという姿勢が基本にあることに対応しています。

 

 

 

<社会的協同組合の役割/都市の創造性>

 

 

 

ロンドンではビッグイシューが有名ですが、ボローニャでは「大きな広場」新聞がホームレスの自立を助ける人たちにより発行されています。その活動は軌道に乗ってきているのですが、運動の母体となっているのが社会的協同組合だということです。相互性の性格を持ち私的投資を目的としない社会的協同組合は憲法にもその増加と助成が規定される組織であり、共生のため、自分たちの問題を自分たちで解決するために作られるもののようです。

 

 

 

タバコ工場を改装した複合映像施設チネテカを運営する社会的協同組合も紹介されます。 映画好きが必要のためにフィルムの修復をする社会的協同組合を仲間とつくりました。それがだんだん発展して世界中のフィルム修復の基地となり大きな産業に成長したのです。今では稼いだお金で古いタバコ工場をフィルムライブラリー、3つの映画館、3つの専門図書館、ボローニャ大学の芸術学部のスタジオ、フィルム修復工場に改装し、チネテカという映像文化の拠点となっています。

 

 

 

これらの事例から井上氏は創造都市の条件に関わる2つのことを指摘しています。

 

 

 

一つ目は個人が熱中する好意を周りの人・市民が資金で応援してそれが育って産業となる-こういうことが都市の創造性だということ。

 

 

 

もうひとつは手法に関してですが、チネテカにしても歴史的な建物を壊してしまわずに、文化を継承するという気持ちで活用していくという創造的な方法をとっていることです。

 

建物を保存活用して使っていくことで、歴史や時間の蓄積を認識することにつながり自分が過去から断ち切られて孤立しているのではないこと、過去と未来をつなぐ役割を負っていることの気づきになることを指摘しています

 

 

 

 

 

<地域の企業とりわけ銀行の役割>

 

 

 

イタリアのメセナ活動の最大のスポンサーは金融機関だそうです。「貯蓄銀行は地域の公的目的のために最終利益の50%を営業地域の自然保護、文化財遺産の保護と修復、地位kの文化活動の促進に向けることが義務付けられていた」(この部分は岡本義行氏の『イタリアの中小企業戦略』三田出版会 1994からの孫引きとなります)ということです。

 

 

 

日本の銀行との大きな違いに井上氏は驚いていますが、地域から生まれた利益を地域に継続的に還元していくことはある意味では当たり前のこととイタリアでは考えられているようです。

 

 

 

<創造都市ということ>

 

 

 

井上氏によれば世界で最も早く1960年代始めに「創造都市」という考えをまとめ、実行したのがボローニャだそうです。この考えの勘所が建築家でボローニャ大学教授と都市計画局長をかねていたチェルベッラーティによって述べられています。彼は隣人や弱者などを犠牲にした成長を目指すという計画の前提がそもそもの間違いであったことを早くから指摘し、都心での生活や文化の継承の大切さを前提とした計画作りを進めたそうです。

 

 

 

井上氏による創造都市とは「新しいことにはどしどし挑戦するが、そのときでも過去の蓄積はきちんと生かして、むやみに規模は広げない。古い建物を壊さずに、現在の用途に合わせて都心を再生する。そうやってまた新しい価値を生み出して、地元の市民のために、そして世界の市民のために、日常の流儀を新しくしていく。それが<創造都市>の中身なのではないか」となります。

 

 

 

以上が井上氏の『ボローニャ紀行』(文芸春秋 2008)からの引用です。

 

 

 

働くことが喜びにつながるような創造的な仕事(WORK)や芸術文化活動が、きちんとした産業になるし、これからの時代においては大規模生産の製造業よりも都市の活性化の牽引力となること。

 

そういう活動に伴う創造性の発揮、革新性の追及は(産業化される以前においても)、人々の心を勇気付け、創造や革新の気風を醸成するものであること。

 

都市の文化的伝統ときちんと対話する中で新しい(文化的)創造は生まれるものであり、それは建築やまちなみをきちんと継承しつつリノベートしていく姿勢と不可分であること。

 

ローカルで少人数の萌芽的活動を育てる気風や風土、そして制度が必要であること。地域の人が自分たちの課題を(国のような抽象的な機関に任せるのではなく)自分たちで解決していくという姿勢が根本にあること。

 

 

 

などが、ボローニャ方式から学び取るべきことでしょうか。

 

 

またこれまでの事例(ニューカッスル・ゲイツヘッドなど)をみると、今まで(文化とは無縁の)工業都市と思われていた都市が、文化を標榜したまちづくりを行うことは、市民の意識に街の誇りを取り戻すことにつながること。

 

文化や芸術をテーマにした活動の場や施設はそれが本物であれば外部からの人にとっても魅力ある場所になり観光収入につながること。

 

そして外部の人が訪れることがその町の人にとっても自分たちのアイデンティティとは何かを考えるきっかけになる。まちにたいする誇りにもつながる。

 

 

 

上記のことが(国家間競争や企業間競争ではなく)都市間競争においても有利に働くということでしょう。

 

 

 

 

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani

 


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