まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

楽しい講演会

2017-09-09 17:32:50 | 建築・都市・あれこれ  Essay

 鶴岡の人づくり、地域づくり活動に尽力されている(公財)克念社主催の講演会が新装成った荘銀本店ホールでありました。お声がけをいただき、東大の下田正弘、宗教評論家のひろさちや両先生のお話しを聞いてきました。

(写真はブログの内容とまったく関係ありません。荘銀本店ホールから公益大大学院に戻る途中のスナップです)

 

 下田先生は仏教聖典の研究者。印度哲学教室の先生。大昔私も印哲の玉城康四郎先生の授業をとったことを思い出します。ちなみに玉城先生は研究者ですが同時に深い宗教体験も経られた求道者のような風貌でした。

 下田先生は客席から拝見した範囲では普通の研究者、学者の風貌でした。お話しは「仏のことばに聞く」というタイトルです。釈尊あるいは原始経典がことばというものをどのように捕らえているのか、考えているのかということから始まりました。ことばは単に伝達のための記号ではなく釈尊はもの・ことと心(意識)を形作るものとして捕らえられています。ことばの意味についての話にはヘレンケラーのことを何回か引用されていました。

 私は映画の中でしかヘレンケラーを知りませんが、子供のころ盲、聾、唖の三重苦を背負ったヘレンが、サリバン先生の厳しい指導でWaterということばを始めてしゃべったシーンを思い出しました。私が印象に残っているのは、彼女が水が欲しいからWaterといったのではないということです。ものにはことばが対応しているということをサリバンは教えたのです。実物の世界に相同なシンボルの体系の中に私たちは生きているのです。話しは講演と離れますが、映画では私たちの世代には絶大の人気があったパティデュークがへレンケラー、アンバンクロフトがサリバン先生を演じています。「卒業」のミセスロビンソンですね。

 ひろさちや先生のタイトルは「南無そのまんま」。先生も印哲出身で、基本は学究の徒だと思いますが、風貌と話しぶりは大阪のおじさん風。

基本的には釈尊の一切皆苦という教え、そこにある執着を知ること、四諦の意味等を教えてくれたのだと思います。ただ話し方はお説教風ではなく、比喩にみちた人生漫談。会場の爆笑が絶えませんでした。

話しの最後は、浄土に持っていくお土産の話し。幸せな楽土ですから、その幸せを味わうためにはこの世での苦しかった思い出を持っていくのが一番よいそうです。影があってこそ光が感じられるという唯識論の説話を思い出しました。ただし、釈尊自身は死後のことについては考えないのがよいと言っていたことも教えてくれました。はすの池に落とした石の行く先を考えても分からないということでしょう。

面白く、そして考えさせる1時間半でした。あっという間に過ぎてしまいました。こんな機会をいただきありがとうございました。また地方銀行に400席のパブリック?ホールがあるというのもすばらしいことだと思いました。

高谷時彦記

I attended the lecture on Buddhism hosted by Kazama Family. It was held in new Shogin Hall in front of Uchikawa river. The large audience enjyoyed Mr. Hiro Sachiya's speech, rich in humor, and learned many words of Buddha from Professor Shimoda Masaya's speech.

Tokihiko Takatani

Architect/Professor

Takatani Tokihiko and Associates, Architecture/Urban Design, Tokyo

Graduate School of Tohoku Koeki university ,Tsuruoka city, Yamagata