まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

みなと区の散歩は森ビル巡り?

2023-12-04 18:57:40 | 建築まち巡礼関東 Kanto

高校の同級生Hさんは大手銀行のOBですが、不動産関係にも強く、なかなかの建築通。この週末は、Hさんが働いていた当たりをぶらり散歩。

まずは虎ノ門ヒルズ隣の超高層ビル。もちろんオーナーは森ビルです。相変わらず、不安定な形状。こうでないと「グローバルスタンダード」にならないということなんでしょうか?設計はOMAとのことです。

まずは、上の方に登れるだけ登ってみます。Tokyo NODEというスペース。蜷川美花さんのインスタレーションの準備中で多くの方々が忙しく働いていましたが、そんな風景を横目に

まずは「もりビール」に乾杯。

この建物からは、懐かしい(数十年前、槇事務所にいた時に現場まで担当させていただきました)虎ノ門NNビルを眼下に見下ろします。角にあるシルバーのメタリックタイル打ち込み、横連装窓の建物です。竣工当時はこの辺りでは高い方の建物でした。当時は絶対に出来ないだろうと言われた都市計画道路(環状2号線:いわゆるマッカーサー道路)によって、低層部がもぎり取られてしまい、かわいそうな姿になっています。環状2号線は森ビル虎ノ門ヒルズのタワーの地下を通る形で、開通しました。森ビルの力はすごいものがあります。

「森ビルの力はすごい」と書きましたが、やはり「森稔社長の都市づくりにかける思い」のパワーだと思います。この建物にも市民に開放された巨大な吹き抜け空間がありますが、森社長はとにかく、貧相な東京のパブリックスペースを世界に通じるものに変えていきたい、そのために頑張りたいという信念の人だったように思います。

次の目的地、麻布台ヒルズに行くために一度地上に出ます。銅板による網代模様、西洋建築のデンティルのような軒飾り・・・典型的な看板建築です。昔はこのあたりにも多かったのでしょう。

麻布台ヒルズ到着です。今日本一高いビルです。外観の設計には、シーザーペリーなどもかかわっているとのことです。

ここでもできるだけ高いところに行きたかったのですが、ビルの中間部分にパブリックスペースが確保されています。お上りさんの楽しみが残されているというのがうれしいですね。

最上階ではなく概ね中間の高さにいますが、すでに東京タワーを見下ろす感じです。

ここでも、森社長のこだわっていたパブリックスペースがふんだんにとられています。

そして、今日の見学で一番見たかった低層部へ。

グリッド状の構造物がくねくねとうねっています。設計者のヘザウィックによると、上から見ると直交交差グリッドになっているそうです。

このグリッドのうねりに沿った屋上面が緑化され、市民に開放されています。この緑スペースも森社長がこだわっていたところです。

ただ、もうちょっと「グリッド」の「うねり」が面白い空間体験を生んでいるのかと思っていたのですが。その期待は外れてしまいました。

また、パーゴラというのもデザインコンセプトの一つだと思っていましたが、今一つ伝わってきませんでした。

もう少し、うろうろすると面白さが伝わってきたかもしれません。また、体力をつけて、挑戦してみたいと思います。見たことのない景色、

体験したことのない空間に会えそうな気にさせるのが、ヘザウィックです。次回に期待します。

 

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design

設計・計画高谷時彦事務所sekkei-keikaku-tokihiko-takatani (server-shared.com)

 

 

 

 

 


旧国立公衆衛生院、内田ゴシックを訪ねる

2023-11-26 18:36:48 | 建築まち巡礼関東 Kanto

高校の同窓で建築通のOさんに誘われて、初めての港区郷土歴史館探訪。

外観を見ると、本郷の東大図書館を思い出します。エントランスのアーチの連続、縦方向の線状装飾、スクラッチタイル、シンメトリーで前に噴水を置く配置・・。

設計はどちらも内田祥三先生。この建物は1938年にできた国立公衆衛生院の建物です。

中に入ると、階段室は2層毎の吹き抜けになっています。床は大理石、結構豪華な感じです。

階段部分は6層分吹き抜けです。ちょっと表現主義的な、やさしさ、流麗な印象もあります。

平面的には大きな両翼を持ちます。片方には300人以上入る講堂があります。

 

壁は真壁的な雰囲気もあり、格天井と相まって少し和のテイストも感じられます。

講堂の下の方には博物館的なゾーンもありました。何と、狸に初めて触りました。もちろんはく製です。

少しゴワゴワしていると思いきや、猫と変わらない、やわらかい毛並みでした。

フクロウにも触らさせてもらいました。

かわいく振り返ってくれました。

さて建築の話に戻ります。

こんな豪華な内田ゴシック建築が、1938年という年にできているんです。しかも、アメリカのロックフェラー財団の寄付(関東大震災からの復興支援)でつくられたというのも驚きです。

1931年には満州事変、1937年には日華事変、すなわち中国との戦争が始まっています。

1931年の満州事変の年に、「帝室博物館」のコンペが行われ、「帝冠様式」の渡辺仁が当選しています。前川圀男がコルビジェ風の案を出してその風潮を批判したことで、当時は国内で日本的な建築を求める嵐が吹き荒れていたというイメージをもっていました。帝冠様式≒日本ファシズムの意向という図式です。

しかし、藤森先生や井上章一氏(1995『戦時下日本の建築家 アートキッチュ・ジャパネスク』朝日選書)によると事実とは異なるそうです。このことを最初に指摘したのが稲垣栄三先生(日本建築史の授業ではお世話になりました)。同時代にこういうゴシック的な建築が建っていたんですね。昨日、ブラタモリ(テレビ番組、ビデオを見ました)の中でタモリが戦前の日本軍はこういう(表現主義的あるいは古典様式を残したアールデコ的な)建物が好きですよね‥というコメントをしていましたが、決して日本風を軍あるいは軍国主義が強要していたわけではないことが分かります。ちなみに1937年竣工の大阪軍人会館はまさにバウハウス風のモダニズム建築です。

建築的な位置づけは置くとしても、いい建物です。お金をかけて思う存分建築家が腕を振るった、という印象です。

 

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design

設計計画高谷時彦事務所

 

 


高尾山から小仏城山へ

2023-11-26 17:38:26 | 建築まち巡礼関東 Kanto

レフレッシュのため、高尾山へ出発。

これまでは山頂どまりでしたが、少し足を延ばして小仏城山まで頑張ってみました。

休憩所もあるので安心です。よく冷えて苦い飲み物もありました。ありがたいことです。

休憩所の廻りの紅葉が一番進んでいました。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design

 


久しぶりに世田谷美術館そしていらか道

2023-11-26 16:46:12 | 建築まち巡礼関東 Kanto

結構忙しい日々を終え、ふと美術館に行こうというアイデア。

「倉俣史朗ー記憶の中の小宇宙」をやってるじゃないか・・・ということで田園都市線の用賀に降り立ち世田美へ向かう。

長らくご無沙汰していた「いらか道」が出迎えてくれます。言わずと知れたチーム象の名作。

年月を経て、まちの中にしっくりとなじんでいます。

サインも面白いですね。

ただ、私はここまでやる必要があるのかな・・などと思っていた時期もあったように記憶します。しかし、ここまで丹精を込めて作り上げているからこそ、使う人にも受け入れられているのでしょう。役所の予算が余ったから、歩道のお化粧をしましょうというのとは次元が違います。当時の世田谷区役所の人たち、地元、設計者、施工者が大切に作ってきたという、思いが今も伝わってきます。

数日前に、ランドスケープアーキテクト宮城俊作氏の『庭と風景のあいだ』(鹿島出版会SD選書 2020)を読みました。active designである建築によるアーバニズムに対してpassive design であるランドスケープが主体となったLandscape urbanismについて教えてもらいました。確かに、都市域が縮小し、空地化していく時代において、ランドスケープの視点から構築環境(Built Environment)の在り方を考えていくことの意義は大きいと思います。

このいらか道は、通り道であると同時に、周りの構築物に対しても一つの(優しい)structureになっているように思いました。建築的な(強い)メガストラクチャーではない、都市環境の誘導の仕方があることを示してくれているように思いました。

ということを考えているうちに、砧公園に到着。

・・・しかし、倉俣史郎展は、まだ先のことでした。予告のポスターを見てきてしまいました。しかし、大変刺激的な展覧会を見ることができました。

「雑誌に見るカットの世界 『世界』と『暮らしの手帳』」。

岩波書店の世界は昔よく読んでいました。確かに記事の横に小さなカットもありました。それらが、中川一政、加山又造、宇佐美圭司さんなどそうそうたるアーティストの

手になるものだとは知りませんでした。飯田善国さんや関根信夫さんなど彫刻家のスケッチもたくさん使われていたようです。

また暮らしの手帳の花森安治さんは編集者とばかり思っていましたが、画家、イラストレーターとして活躍されていたんですね。引き込まれてしまい、見てて飽きることのない

味のある作品をたくさん見ることができました。得をしたような気分です。もちろん「倉俣史朗」展はまた別の機会に来るつもりです。

 

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design

 

 

 

 

 

 

 

 


富岡製糸場 繰糸工場など

2022-07-16 15:47:10 | 建築まち巡礼関東 Kanto

二つの繭置所を見た後に、繰糸工場へ。南北方向に平行に配置された2つの繭置所を、東西方向につなぐような位置にあるのが繰糸工場です。これも大きい。これらの3棟で北に開いたコの字型ができています。

棟方向(東西)に長い越屋根(櫓)があるのが外観の特徴です。

 

中に入ってみるとわかりますが、越屋根はハイサイドライトではありません。ほかの蚕建築と同じように換気用です。明かりは下写真のように側面の大開口から入ります。白い色もいいですね。

蒸気機関を動力とする繰糸機です。何メートルくらいあるのでしょう。

(下写真)変則的であった繭置所のトラスと違い、こちらの小屋組みはちゃんとしたキングポストトラスです。

下写真の繰機が動き出すと相当な迫力だと思います。NISSAN製です。機械は富岡製糸所を片倉工業が所有していたころのものだそうです。実に驚いたことに1987年まで製糸をしていたそうです。またその後も建物や機械を壊さずに、きちんと保存していたということには驚きます。

 

工場として眺めても実に興味深いものです。下写真などは、ほかの地域の工場にも多く見られた風景ではないでしょうか。

工場の中の社宅。これも「あるある」ですね。

なんで工場というのは、どこを見ても見飽きないのでしょうか。工場や、小屋、倉庫など、特に見る人を意識して作ったものでないはずですが、ひとを感動させる空間(空間構成)がしばしばみられます。

ところで、富岡製糸場の展示や、紹介映像は大変分かり易く、感心しました。

富岡製糸場はモデルとして国がつくったものですが、「モデル」としてのやう割を十分に果たし、全国に機械製糸工場がつくられていたことが分かります。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architect/urban designer