落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

悪魔の貌

2008年07月29日 | movie
『敵こそ、我が友 戦犯クラウス・バルビーの3つの人生』

第二次世界大戦下のフランス・リヨンでレジスタンスを取り締まるゲシュタポとして活躍、戦後アメリカ陸軍情報部工作員となり、南米亡命後はチェ・ゲバラ暗殺やボリビア軍事政権成立の陰で暗躍したドイツ人戦犯クラウス・バルビーの伝記ドキュメンタリー。

全編純然たるドキュメンタリーで、バルビー本人をめぐる周辺人物─通訳・弁護士・肉親・虐待被害者・被害者遺族・ジャーナリスト・研究者etc.─のインタビューと記録映像・報道写真で構成されたかなりハードな映画。
インタビューの内容はどれも衝撃的としかいいようのない証言ばかりなのだが、おそろしいことに、そんな話ばかりゴチャゴチャ聞いてるうちにだんだん飽きてくる自分がいる。またその話かよ、みたいな。
こういう感覚はおそらく、バルビー本人の裁判での最終弁論でのひとことに集約される。
「私は、敵ながら敬意を表するレジスタンス運動と非妥協的に戦いました。しかしながら、当時は戦中であり、もはや戦争は終わったのです」

バルビーは確かに国家に、軍に対して忠実だっただけかもしれない。人としての倫理よりも国の利益が優先される戦時下で、自分の良心を棚上げして暴虐の限りを尽くせたのはさぞ快かったことだろう。なにしろ誰をどう扱おうと「国のため」という言い訳さえ通ればなんだって許され、場合によっては賛美されさえしたのだから。
戦争に負けたからといってそういう価値観を覆すのは容易ではない。彼は人としての生存本能ゆえに犯した罪を償おうとしなかった。それも見ようによっては生き物として当り前ともいえる。
だが実際に戦争で心身に深い傷を負った人にはそんな理屈は通用しない。「戦争は終わった」って勝手に終わらすなや、っちゅー話ですわ。被害者感情とは自ら克服しない限り決して慰められるものではない。

バルビーのように「戦争は終わった」とうそぶいて何不自由することなく社会に復帰した戦犯たちは世界中どこにでもいる。
そして戦争が終わってもその痛みから生涯逃れられない人も世界中にいる。
どちらの感情にも、誰もが容易に共感できる。どちらの言い分にも一理はあると考えるのも、誰にとっても難しいことではない。
なぜなら、せんじつめれば、戦争を起こし戦争犯罪人を生みだしスパイやテロリストの存在を許容するのは、ほかならぬ一般大衆だからだ。ナチを支持したのはドイツ国民だし、ゲシュタポに協力したのはフランス政府、元ナチに反共工作を指示したのは冷戦真っ只中のアメリカである。日本にだって、戦争被害を「もう済んだ話だから」で片付けたがる人々は現実にいくらもいる。
バルビーは「求められたことをしただけなのに、裁かれるのは私ひとり」といった。むろんぐりも、誰かを裁かなければならないなら彼こそがスケープゴートになるべき必然に異論はない。
だが彼ひとりを裁いても何も解決はしないということを、人は決して忘れるべきではないと思う。人倫の敵はバルビーひとりではない。生きているすべての人間にその責があるのだ。

しかしこの映画、眠かった(爆)。3回くらい一瞬気絶しそうになったよー。寝なかったけど・・・。
『ラストキング・オブ・スコットランド』のときも思ったけど、この監督演出がちょっと近視眼的とゆーか、観客側の目線で客観的に構成するってセンスはイマイチな気がする。もう少し親切に見やすくつくることもできたんじゃないかと思うと、題材がいいだけに残念です。

粉川哲夫のシネマノート
パンフや公式HPには掲載されてないオモシロ情報アリ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿