落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

岸のない川

2013年07月02日 | movie
『さよなら渓谷』

渓谷の街で男児が殺害され、その母親(薬袋いづみ)が容疑者として逮捕されるなか、隣家に住む尾崎(大西信満)との不倫が動機ではないかという疑いがかけられる。
事件を取材する週刊誌の記者・渡辺(大森南朋)は、尾崎を警察に告発したのが彼の妻・かなこ(真木よう子)と知り、ふたりの過去を調べ始めるが・・・。
吉田修一の同名小説の映画化。先日モスクワ国際映画祭で審査員特別賞を受賞したばかり。

何年か前、しばらくの間、性暴力や性的搾取の被害に遭った女性や子どもの支援活動に関わっていたことがある。
そのときに見聞きしたこと、体験したことはそうそうどこでも言葉にはできないものだけど、活動から距離を置こうと思ったきっかけについてははっきりと話せる。
いっしょに活動している人の中に、加害者の人格をいっさい認めようとしない、決して受け入れようとしない人がいたことだ。
気持ちはわかる。とてもよくわかる。でもあえて綺麗事をいわせてもらうなら、弱い立場の存在への虐待は、決して直接的な加害者だけによって引き起こされるものではない。もちろん、被害者に非はない。どんな人にも、暴力を受けなくてはならないいわれなどあるわけがない。だが、暴力は引き起こされるべき環境があって初めて生み出されるものだ。その環境要因を排除しないうちは、加害者だけを責めたところで何も解決はしない。そういう感情論が何かの役に立つとも思えない。
だが、実際の活動の中で、そんな本音はなかなか口にできるものではなかった。なんといえばいいのかもわからなかった。それほど、性暴力、性的搾取は悲惨だった。いちばん許せなかったのは、それだけの暴力と搾取の存在を誰も知ろうとせず、知りもしないのにそれを受け入れている世の中だった。

モスクワでの受賞のニュースが昨日入ってきたばっかりで今日は映画の日、ということでなんと立ち見まで出る大盛況ぶり。観客は男ばっかりで、学生と思しき若い男の子のグループもいたけど、彼らはどういうつもりでこの映画を観に来て、そしてどう思ったのだろう。
決して楽しい映画ではない。むしろかなりつらい映画だ。画面はいつもとげとげしいような緊張感と攻撃性に満ちているし、当然のように登場人物は誰ひとりにこりともしない。
主人公であるかなこと尾崎はほとんど喋らないので、渡辺と後輩記者の小林(鈴木杏)の会話が物語を全部説明してくれるのだが、もちろんふたりの台詞はただの状況説明でしかない。なのに、このふたりの会話と行動が、現実社会の男女観の溝を実にストレートに象徴していて非常にわかりやすい。
この物語の主題は尾崎夫妻の奇妙な絆ではあるのだが、その意味を表現する上で、レイプという暴力の残酷さとそれによって生み出される絶望の深さは、ただそれだけを尋常になぞっただけでは伝わらない。第三者のうわっつらの一般論と対比することで、そのリアルな痛みが画面を通してこちら側に突き刺さってくるようになっている。秀逸である。

人間は誰でも幸せになりたくて生きているが、かなこと尾崎はそうではない。かなこは尾崎を不幸にするために生き、尾崎はそれを受け入れるために生きている。復讐と贖罪、いってみれば利害が一致してしまっているわけで、そこに矛盾が生まれる。その矛盾が誰の価値観も割りこむ隙のない絆になっている。いつか、その絆からふたりが解き放たれる日はくるのだろうか。
復讐劇という点では『その夜の侍』にちょっと似たところもあるし、他者の入りこむ余地のない男女の絆の物語という点では同じ吉田修一の『悪人』と共通したテーマでもあり、渓谷を舞台にしたサスペンスというジャンルとしてはやはり真木よう子が出ていた『ゆれる』にも近い世界観があるけど、ものすごくパーソナルなようで実はムチャクチャ社会派で、かつ日本映画には珍しいくらい女性をしっかりと描きこんでるというところで確固たるオリジナリティを感じさせる作品でした。
すっごくよかった。最近観た日本映画(ってほど観てないけど)ではいちばんだと思う。すごかった。
それにしても真木よう子はなんだろうねあの迫力は。いままでとくにそんなに興味なかったけど、好きになっちゃったかも。
あと井浦新もよかった。3回くらいしかでてこなかったけど、さすがの存在感。新井浩文もあいかわらずすばらしい。まったく期待を裏切らないねこの人は。毎回。ほんと感心しちゃいます。

魂の殺人といわれる性暴力だけど、その罪の深さをほんとうに知る人は少ない。
こんな映画一本みたところでわかろうはずもないかもしれない。
だけど、いったんそれが現実に起きてしまったら、誰にとっても、二度とそれはなかったことには絶対にできないということはわかるかもしれない。
ひとりでも多くの人に観てほしい映画でした。

関連レビュー:
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『ハーフ・ザ・スカイ 彼女たちが世界の希望に変わるまで』 ニコラス・D・クリストフ/シェリル・ウーダン著 北村陽子訳