はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

「野だて茶話会」提出歌

2009年01月24日 17時41分12秒 | イベント
「庭先のバジルをぜんぶ使ったの」香りの中できみは微笑む

舗装路の色を変えゆく夕立の香りの中できみは微笑む

モノクロに焼いた写真よひとすじの香りの中できみは微笑む


下の句を「香りの中で~」に統一してみました。

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2 コメント

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微笑みの意味 (やすまる)
2009-01-19 20:51:29
「庭先のバジルをぜんぶ使ったの」香りの中できみは微笑む

この「きみ」は満足感で微笑んでいるように感じました。
「庭先のバジルをぜんぶ使」うこと、が「きみ」の満足感につながっているのじゃないかと思います。
ぜんぶ使うことによって得られた結果にも満足してはいるのかもしれないですけど。
それよりも、全てをそそぎこむことこそが大事、みたいな。
過剰な愛情、みたいなものが感じられて、この微笑みはすこし怖いです。
「ぜんぶ」という言葉がなければ、この「きみ」の微笑みは無邪気でかわいいものに感じられただろうと思います。


舗装路の色を変えゆく夕立の香りの中できみは微笑む

3首のなかで、このうたの微笑みがいちばんわからなかったです。
夕立ちが、あるいは夕立ちの香りが、うれしいのですかねえ。
日常の中にあらわれた非日常をよろこんでいる微笑みなのでしょうか。
いや。夕立ちが舗装路の色を変えゆくのに似たきみの微笑み、なのかもですね。唐突さ、とか。
あるいは。「舗装路」がある所つまり都会のきみを詠ったのか。
読みきれません。


モノクロに焼いた写真よひとすじの香りの中できみは微笑む

始めに読んだとき、写真を焼いちゃったのだと思いました。
で、その写真を焼いてる焦げたにおいのなかで、焼けつつある写真の中の君は微笑んでいる。
その微笑みを、作中主体はなにか思いながら見ているのだなあ、と。
でも「モノクロに焼いた写真」だから、モノクロ写真である、ってことなのかと思いました。
となると「ひとすじの香り」ってなんでしょう。
写真の中の「きみ」から、「きみ」の香りを幻嗅として感じたのかもしれませんね。
「きみ」を香りとして思い出せる関係がふたりの間に存在していたことをあらわしているのでしょうか。
うーん。でもやっぱり全体をみると、焼いちゃったように読めます。うーん。


全体的にちゃんと読めてないです。すみません。
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Unknown (藻上旅人)
2009-01-20 14:38:08
中村成志様こんにちは、よろしくお願いします。

○第1のお歌
 バジルの香りとともにあふれる愛。全部使ってしまうほどの思い。
 その無邪気さにも好感が持てます。
 羨ましい限りです。

 始めは「ぜんぶ」にこだわってしまい、
 二人で育てたバジルをわざと使い切ったのかとも考えました。
 そうなると別れのお歌となり、無気味な微笑みになります。
 雰囲気からして、ありえませんね。

○第2のお歌
 夕立による色と香り、鮮やかな印象です。
 具体的な匂いは想像できませんが、
 鼻に感ずる湿った感情とでもいうのでしょうか。
 暗いというイメージではなく、趣のあるイメージです。
 その中での微笑み。何なのでしょう。
 彼女とおふたりの雨やどりなのでしょうか。
 ふと訪れた、ふたりだけの時間。
 その幸せが、微笑みとなり、こぼれたのでしょうか。

○第3のお歌
 モノクロという言葉は、フィルムの種類だけのことでなく、
 過去を連想させてくれます。もう、終わってしまった過去を。
 その写真の中で微笑む彼女。そこから感ずるひとすじのもの。
 今も変らぬ想いを感じ、胸が痛みます。
 香りとして感ずることも、切ないですね。
 自分の意志とは裏腹にやって来ますので。

○余談
 3首のお歌は、独立したものなのでしょうが、
 続けてけて読ませて頂くと、少し哀しくなりました。
 第2のお歌を、雨やどりの彼女を遠く見ているお歌と、
 解釈したためかも知れません。
 目の前にあった幸せが、やがて離れてゆき、思い出のみが残る・・・
 また、行き過ぎですね。すみません。
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