はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

小園(斎藤茂吉料理歌集)

2014年03月12日 12時18分26秒 | 斎藤茂吉料理歌集

  「小園」


 昭和十八年

大きなる時にあたりて朝よひの玄米(くろごめ)の飯(いひ)も押しいただかむ

ゆたかなる稔(みのり)をさめて新しき年を祝がむとあぐるこゑごゑ

備後なる山の峽(かひ)よりおくりこし醤(ひしほ)を愛でていのちを延べむ

穉(いとけな)くてありけむ時のごとくにて麥飯(むぎいひ)食(は)めば心すがしも

麥の飯(いひ)日ごとに食めばみちのくに我をはぐくみし母しおもほゆ

あらた米(ごめ)すでにをさめてみちのくは日毎夜毎(ひごとよごと)に雪ふるらむか

萬年(おもと)の實くれなゐふかくなるころをわが甥がひとり國境(こくきやう)へ行く

翁(おきな)にてわれはすわりぬ傍(かたはら)にくれなゐの梅くれなゐの木瓜(ぼけ)

ただひとつ樂しみとする朝々の味噌汁にがくなりてわが臥(ふ)す

岡の上に萱草(くわんざう)くもえつつぞ低きくもりの觸(ふ)るらくおもほゆ

夜な夜なに霜ふりたりし庭土(にはつち)のうへに擬寳珠は芽を出しそめつ

配給をうけし蕨のみじかきをおしいただかむばかりにしたり

供米(きようまい)のことにかかはる話あり聞きつつわれは涙いでむとす

街ゆけど食事すること難くなり午後二時すぎて歸りて來たり

小峽(をかひ)なる田を鋤(す)くをとめ疲るらむ二人ならびてまだ休まぬに

日の光とほりてゐたる泥(ひぢ)のうへ田螺(たにし)のうごくありさまあはれ

孤獨(こどく)なるものとおもふなこの澤を魚さかのぼる本能かなし

胡桃(くるみ)あへにしたる○(たら)の芽あぶら熬(い)りにしたる○(たら)の芽山人(やまびと)われは
【○は植物のタラ。該当漢字無し】

かたくりの實になりたるを手にとりてしばしば口に含(ふふ)みてゐたり

ひとときを小澤(をさは)のみづに魚(うを)の子のさばしる見つつわが命(いのち)のぶ

この庭にひと本(もと)ありて夏のころいくつか生(な)れる桃さにづらふ

狹霧(さぎり)たつ山にし居ればおのがためきのふも今日も米をいたはる

杉の樹のしたくらがりに當薬(たうやく)がひそみたてるを見らくし樂し

しづかなる生(せい)のまにまにゆふぐれのひと時かかり唐辛子煮ぬ

いささかの畑(はた)をつくりてありしかばこの林中(りんちゆう)もおろそかならず

晝飯(ひるいひ)を食ひたるのちに板(いた)のへに吾は打ち込む錆(さ)びたる釘を

雉子(きじ)ふたつわれの前より飛びたちぬ彼等亂(みだ)らむわれならなくに

年々に○牛兒(げんのしようこ)の實をむすぶころとしなりてわれ山くだる
【○は該当漢字無し】

どしや降りの午後になりつつものをいふことさへもなく木瓜(ぼけ)の實煮たり

朝よひに米(よね)ををしみて幽(かす)かなる私(わたくし)ごとをゆるしたまはな

開帳のごとき光景に街上の鰻食堂けふひらきあり


 昭和十九年

おのづから六十三になりたるは蕨(わらび)うらがれむとするさまに似む

かぐはしみ吾にも食へと蕗の薹あまつ光に萌えいづらむか

このゆふべ嫁がかひがひしくわがために肉の數片(すうへん)を煮こみくれたり

にひ年にあたりて友がわがために白き餅(もちひ)をひそませ持ち來(く)

黴(かび)ふける餅(もちひ)ののこり食ひつつぞ勇みて居らむ汝(な)が父われは

君とふたりあひむかふとき釜の湯の沸(たぎ)てる音は心さだむる

朝はやき土間のうへには々と配給の蕗の薹十ばかりあり

南瓜(たうなす)を猫の食ふこそあはれなれ大きたたかひここに及びつ

雨ふらぬ冬日つづきてわが庭の蕗の薹の萌えいまだ目だたず

ちひさなる餅(もちひ)かたみに食ふときは春の彼岸にものおもひなし

家の猫が菎蒻(こんにやく)ぬすみ食ひしこと奇蹟(きせき)のごとくいふ聲のする

少しばかり隠して持てる氷砂糖も爆撃にあはば燃えてちり飛べ

南かぜ一日(ひとひ)ふきしき庭隅(にはくま)にいでたる羊齒(しだ)の渦(うづ)のをさな葉

相模なる畑(はた)のくろ土にこもりたるアスパラガスよあな尊しよ

これまでに吾に食はれし鰻(うなぎ)らは佛(ほとけ)となりてかがよふらむか

くだものを實(みの)らしめむとあたたかき伊豆を戀ひつつ行きし汝(なれ)はも

草かげにひと處なる當薬(たうやく)はわれ見いでつと人に知らゆな

おくりこし唐きびの香をなつかしみ杉の落葉の火もてあぶれる

いかにしてわれ食はむかとおもひ居り目ざむるばかり赤きトマトを

やうやくにれたる山のゆふまぐれからびてゐたる茄子を煮にけり

人參(にんじん)ををしみ置きしがこのゆふべ五目(ごもく)の如く入れてしまひぬ

葛の花さくべくなりて歩みくるここの小峽(をかひ)もわれに親(した)しも

にはつ鳥○(かけ)のきこゆるは猶太人(ゆだやじん)家族が飼へるをんどりのこゑ
【○は該当漢字無し】

かすかにしわれは住めども朝夕の米(こめ)とぼしらになりまさりたり

くろく蔽(おほ)へる燈(ともし)の下に貯への米計りをり娘とともに

去年より用意をしつつ持て來たるともしき米も食ひ終えむとす

配給をうけぬ生活をわれすればこだはりなくて歸りなむいざ

くだりゆかむ娘のためにいささかの紅茶を沸かすわが心から

馬追のしげき夜ごろを米ぶくろひとつたづさへのぼり來まさね

臺所(だいどころ)ながるる水がながれそめわれの心ははじめて樂し

飯(いひ)を焚く火の音きこゆをりをりは撥ぬる音さへ聞こゆるものを

餘光(よくわう)とほく及べるころを一人住(ひとりずみ)の釜のそこひに飯(はん)煮ゆるおと

味噌樽のあきたるをけふつつがなく山形あがたへ送らむとする

東京の弟がくれし稚鯉(をさなごひ)こよひ煮たればうまらに食はむ

小さき鯉煮てくひしかば一時(ひととき)ののちには眼(まなこ)かがやくものを

久々にくひたる川の稚鯉こなれてゆけばわが現身(うつしみ)よ

去年(こぞ)われら來たりしがごと石の間のいづみを飲みつただひとりにて

いつしかも強羅山べに葛(くず)にほふ頃としなりてかへりゆかむか

來年の夏われ來なば射干(ひあふぎ)もこの高萱(たかがや)もいかにかあらむ

ひとりゐて飯(いひ)くふわれは漬茄子(つけなす)を噛むおとさへややさしくきこゆ

配給の澤庵みれば黄ににほふその黄のにほひわが腹のなか

肝むかふ友は心に吾(わ)をおもひこのたまものをわれに食(く)はしむ

ぎばうしゆも茗荷も地(つち)に枯れふして和(のど)にはあらぬ年くれむとす


 昭和二十年

のがれ來て一時間にもなりたるか壕(がう)のなかにて銀杏(ぎんなん)を食む

老いゆかむ吾をいたはりたまひたる飯(いひ)の中より気(いき)たちのぼる

きさらぎの三日の宵よ小ごゑにて追儺(つゐな)の豆を撒きをはりけり

冬の夜のふけしづむころみちのくの村にし居りて栗食むわれは

ことわりも絶えがたしがごとくせまりくる泉の音はわが眞近より

雪の上すれずれに飛びし頬白は松の根方にものをついばむ

宵ごとに下劑を飲めばわづらはし烏芻沙摩明王(うすさまみやうわう)護りたまはな

ゆふがれひ食ひをはりたる一時(ひととき)を灰となりゆく燠を目守(まも)りつ

わが生(あ)れし村に來りて柔き韮を食むとき思ほゆるかも

おとろへしわが齒哀れと言ひつつぞ豆腐のめづら吾に食はしむ

われの居る金瓶村を出はづれてやぶ萱草の萌えいづる野に

椋鳥は群れて戯るるごとく啼く櫻桃(あうたう)の花しろく咲くころ

四つの澤に満ち足らはむとする水はいくさ劇しき時に流るる

つねの世のごとくに歩む々と木通(あけび)の花のふふむ坂路(さかぢ)を

この山の中に田あれやほがらほがら鳴ける蛙(かはづ)のこゑをし聞けば

松根(しようこん)を掘りたるあとの狹間(はざま)なる新しき泉の水おとぞする

小園(せうゑん)のをだまきのはな野のうへの白頭翁(おきなぐさ)の花ともににほひて

あはれなるものにぞありける五十年にして再會ぜる谷の泉の水

櫟(くぬぎ)の葉みづ楢(なら)の葉のひるがへる淺山(あさやま)なかに吾はしづまる

ひとり寂しくけふの晝餉(ひるげ)にわが食みし野蒜(のびる)の香をもやがて忘れむ

朴(ほほ)がしはまだ柔き春の日に一日(ひとひ)のいのち抒(の)べむとぞおもふ

たたかひの劇しき時に茱萸(ぐみ)の花むらがり咲きて春ゆかむとす

握りたる飯(いひ)を食はむと山のべにわが脚を伸ぶ草鞋をぬぎて

みちのくの春逝く山のふところに白く散りたる大根の花

またたびの花たづねゆく川原ぎし酢川(すかは)はここに堰(せ)かれつつあり

のがれ來てはやも百日(ももか)か下畑(しもはた)に馬鈴薯のはな咲きそむるころ

實になれる菠薐草(はうれんさう)に朝な朝な鶸(ひわ)が來りて食みこぼしけり

●豆畑(ささげばた)の雜草(あらくさ)とるとあまつ日の入りたる後に連れられて來つ
(●は常用漢字に無し。豆偏に工)

十右衛門が手入をしたる玉葱の玉あらはれて夏は深まむ

さみだれは二日降りつぎ蠶(かふこ)らの繭ごもらむ日すでに近づく

朝々はすがしくもあるか此庭に雀あらそひて松の皮おとす

藻のなかに鯉のやからの眠るべくこのしづけさをたもたむとすや

豊後梅(ぶんごうめ)と稱する梅の大き實が寳泉寺よりとどきてゐたり

美しき斑を持ちながら夏ふけて梅の木の葉を食ふ蟲のあり

診察の謝禮にもらひし●卵(けいらん)を朝がれひのとき十右衛門と食ふ
(●は常用漢字に無し。「鶏」の異体字か?)

この村の小さき園に●(ひゆ)といふ草はしげりて秋は來むかふ
(●は常用漢字に無し。草冠に見。)

たかだかと唐もろこしの並みたつを吾は見てをり日のしづむころ

たたかひのため穉(をさな)らの競(きほ)ひたる路傍の豆を見つつ歩めり

おちつかぬ朝餉(あさがれひ)にて石噛みし齒をいたはりて山のべに來し

たのまれてたまたま藥あたへたるそのおほむねは貧しく疎開せりけり

麥飯(むぎいひ)の石をひろふは夜(よ)ぶすまゆ蚤捉ふるに豈(あに)おとらめや

停戰ののち五日この村の畑(はたけ)のほとりにわれは休らふ

よわき齒に噛みて味はふ鮎ふたつ山の川浪くぐりしものぞ

山のべの繁みが中に蓁栗(はしばみ)もやうやく固く秋づかむとす

すでにして山道くれば新しき栗のいがおほく落されてあり

戰ひのをはりとなりし秋にしてかすかなる村の施餓鬼おこなふ

白萩は寳泉寺の庭に咲きみだれ餓鬼にほどこすけふはやも過ぐ

朝寒ともひつつ時の移ろへば蕎麥の小花に來ゐる蜂あり

稲を刈る鎌音(かまおと)きけばさやけくも聞こゆるものか朝まだきより

みちのくの最上川べの大石田にわが齒は痊えてすがしこの朝

わたつみの海よりのぼり來し鮭を今ぞわが食ふ君がなさけに

桑の實はやうやくしのがれ來て感冒もせずわれは居りしに

椋鳥ははやも巣だちて岡べなる胡桃の花も過ぎむとぞする

しづかなる時代(ときよ)のごときこころにて白き鯉この水にあぎとふ

こゑながく鳴きをはりたる蝉ひとつ暫しはゐたりこの梅の樹に
(蝉は旧字体)

ひそかなる吾の足音(あのと)におどろけり桑のはたけの蟋蟀(くろこほろぎ)は

いつしかに黄ににほひたる羊齒の葉に酢川(すかは)の水のしぶきはかかる

漆の葉からくれなゐにならむとす秋の山べのにほひ戀(こほ)しく

むらさきににほひそめたる木通(あけび)の實進駐兵は食むこともなし

いでゆきて疊のうへに持てきたる南蠻鐵色(なんばんてついろ)の柿の葉ひとつ

天保の代に餓死(うゑじ)にしものがたり今も悲しく語りつたふる

すがしくも胸門(むなと)ひらけばこの縣(あがた)の稲の稔りを見て立つわれは

くさぐさの實こそこぼるれ岡のへの秋の日ざしはしづかになりて

あららぎのくれなゐの實の結ぶとき淨(さや)けき秋のこころにぞ入る

沈默のわれに見よとぞ百房のき葡萄に雨ふりそそぐ

秋のひかりとなりて樂しくも實(みの)りに入らむ栗も胡桃も

颱風の遠過ぎゆきしゆふまぐれ甘薯(かんしょ)のつるをひでて食ひつも

いばらの實赤くならむとするころを金瓶村にいまだ起き臥す

よの常のことといふともつゆじもに濡れて深々し柿の落葉は

わが心しづかになれど家隈(いへくま)の茗荷黄いろにうらがれわたる

のがれ來てわが戀(こほ)しみし蓁栗(はしばみ)も木通(あけび)もふゆの山にをはりぬ

雪つもるけふの夕をつつましくあぶらに揚げし干柿いくつ

穉(をさな)かりし頃しのばなと此ゆふべ帚(はうき)ぐさの實われに食はしむ


 昭和二十一年

しづかなる冬の日向にいださるる(さや)けくも白き豆くろき豆

寒(かん)の粥くひをはりたるひと時をこの夜の話聽かむとおもひし

黄になりて地(つち)に伏したりし紫萼(ぎばうしゆ)に三尺あまりの雪はつもりぬ

あまぎらし雪はつもれどあららぎのくれなゐの實はいまだこもれり

農のわざつぶさに見つる一年(ひととせ)ををしむがごとく村去らむとす


  原本 齋藤茂吉全集第三巻(昭和四九年)


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