下に挙げた文章は、『短歌研究』の「第二十九回 現代短歌評論賞」に応募した物です。
例によって、供養のためここに載せてみました。
かなり長いので、章ごとに五つに分けました。
少々読みづらいですが、よろしければ目を通してみてください。
今年の評論賞の課題は
「現代短歌の口語化がもたらしたもの、その功罪」
という、自分にとっては(とっても、か?)けっこうタイムリーなテーマでした。
日頃思っていることを全部突っ込んだため、今読み返してみると、かなり論点があっちこっちに移動した、総花的な文章になってますね。
それにしても、論文を書くのって大変だけど楽しいです。
文献漁りにいろいろなところに行ったり、目当ての文章の次ページに載っている全く関係ない記事をつい読みふけったり、当初考えていた流れに沿った材料が見つからず、結論を変えざるを得なかったり……。
まあ時間、というか日常生活との闘い(もしくは共存)なんですが。
おことわりが一つ。
文中に書かせていただいた、やすたけまりさんの歌についての論は、第一歌集『ミドリツキノワ』刊行以前に書いたものなので、現在の僕の印象とは多少違っています(大元のところは全く変わっていませんが)。
いつか、まとまった「やすたけまり論」を書いてみたいものです。
ご意見等、お聞かせいただければ嬉しいです。