はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

埋められた大船観音(2)

2008年07月14日 07時18分51秒 | たんたか雑記
(続き)

 昭和57年発行の『大船観音史』(宗教法人大船観音寺編集、品切れ)は、本文が30ページに満たない薄い冊子だが、大船観音の築造と現在までの歩みについて要領よくまとめられていて、なかなか興味深い。
 それによると、この観音像が築造されたのは大正14年、意外にも個人の手によるものだ。三橋太郎治という地元の大地主である。
 三橋氏は事業家でもあり、川崎にゴム関連の工場を持っていたが、折からの第一次世界大戦景気によって莫大な収入を得た。
 熱心な曹洞宗の信徒でもあった氏は、感謝とますますの繁栄を祈念して、自分の地所に巨大な観音像を作る計画を立てた。
 大地主なんだからどこに作ってもいいものを、わざわざ駅の目の前に築造するあたり、三橋氏はけっこう自己顕示欲の強い人だったのかもしれない。

 観音像は、小山の切り立った崖を背負うようにして作られた。
 工事の開始が大正5年、完成に8年かかっている。
 いくら巨大像とはいえ、そんなにかかるのもおかしな話だが、どうやら第一次世界大戦終結による不況で、資金繰りに苦慮したらしい。
 とにかく大正14年、全長57m(台座含む)という当時では類を見ない巨大観音像が完成した。
「余計な装飾を廃した素朴な造形美に、地元の人の信仰もよりいっそう高まったのでした」
と『大船観音史』は書いているが、まあ要するに資金不足で細かい造形までできず、塗装も満足に出来なかった、ということなのだろう。
 それでも盛大な建立式が催され、時の内務大臣一木喜徳郎からも祝電が届いたという。

(続く)