「君らしくないな」11月24日
大学生が創る紙面「キャンパる」に、独協大T氏の『自分らしさ』というタイトルの小文が掲載されていました。その中でT氏は、『自分らしさって何だろう。思えば「君らしくない」とはよく言われてきた。中学・高校で6年間続けたテニスをやめ、大学で音楽を始めた時。バーでアルバイトを始めた時。たばこを少し吸うようになった時。自分がしたいからしているだけなのに、らしくないと言われる』と書き、『他人が自分の「らしさ」を定義し、押しつけようとしている』と違和感を記していらっしゃいました。
「君らしい」も「君らしくない」も、君はこういう人だと勝手に決めつけられ、しかもそこで言われている自分像が、自分自身が描いている自分像とずれがあるために、他人からの決めつけに違和感が生じるのでしょう。
私もよく「あなたはこういう人だ」と言われました。覚えているだけでも、「鉄仮面」「低体力主義者」「新しいタイプの指導主事」等々、要するに変わり者ということなのでしょう。私の場合、十分に思い当たる指摘ですので、さほどモヤモヤ感は抱きませんでしたが、確かに「君らしくない」や「君らしい」という言い方はよく使われます。
言うまでもないことですが、人間は少ないいくつかの言葉で言い表すことができるほど単純なものではありません。優しさと残酷さを併せ持つものですし、同じ人があるときに見せるものと別の機会に表すものとが全く違うというのも普通のことです。さらに、Aさんの前ではこうなのに、Bさんと向かい合っているときには別人のようだということも当たり前のことです。
「鉄仮面」と言われるほど仕事では感情を露わにしない私も、テレビで親の誕生日に初めてケーキを作ろうと悪戦苦闘する女の子の姿を見て涙を流しそうになります。何事もほどほどで体力を温存して生きていく「低体力主義者」の私も、つれあいの両親に結婚を許してもらうときには、10kgもある義父の好きな特選ビールセットを担いで炎天下の田舎道を1時間も歩いてつれあいの実家まで行きました。お盆の大渋滞でタクシーが動かず、約束の時間に遅れそうになったので。義父は、なんて情熱的な男でそこまで娘と結婚したいのか、と思ったことでしょう。
私のことはともかく、相手を一面的に見て「君はこういう人」と決めつけることは、慎まなければなりません。特に教員は要注意です。大勢の子供を受け持つ教員は、どうしても「効率的」に仕事を進めたくなります。そのとき陥りやすいのが、この子はこういう子という決めつけ、レッテル貼であり、これをしてしまうとそれに安心してしまい、それ以上に子供理解を深めようという努力をしなくなってしまいやすいのです。しかも子供は大人以上に変化(成長)が激しく、1か月前のAさんと今のAさんとでは、違う存在になっていることが多いにもかかわらず、相変わらず「Aさんは○○な子」と思って接しているのでは、指導に支障をきたすのは当然なのです。
「~するなんて君らしくないな」、そんな言葉を口にしていないか、教員としての自分の子供理解度を測る物差しになると思います。