「共通点」12月26日
書評欄に、詩人渡邊十絲子氏による『「どんじり医」松永正訓著(CCCメディアハウス)』に対する書評が掲載されていました。その中に、『人間の体はそれぞれ個性的で、教科書どおりにはなっていないことを発見し、「何かほっとした気持ちになった」と言う著者に、すっかり感化された。大事なのは形式をおぼえこむことではなくて、目の前のひとりをとことん見ることなのだろう』という記述がありました。
医学は昔経験の学問でしたが、現代では「科学」であるという認識が主流です。「科学」であるということは、反復性があるということ、別の言い方をすれば、人間の体を例に言えば、Aさんも、Bさんも同じであるという考え方です。しかし、小児科医である松永氏は、人間の体の中は個性的だというのです。
教育学という学問分野があります。教育学博士という博士号もあれば、修士号もあります。しかし、教育学を科学だと考えている人はほとんどいないでしょう。私もその一人です。教育は、一人一人の人間を対象とする営みであり、誰も同じ、ではないからです。
にもかかわらず、未熟な教員の中には、子供とはこういうもの、○年生はこの程度、男子は~で女子は~、というような決めつけをし、それで子供理解ができたつもりになっているものが少なくありません。
科学と思われている医学でさえ、人は一人一人違うとするならば、科学ではない教育において人は属性によって分類できるなどという考え方は、驕りでしかありません。もちろん、松永氏がいう「個性的」の意味は、胃が2つあったり、肝臓が3つあったりするということではありません。人間の内臓の配置や機能などという医学的な基礎知識を身に着けた上で、一人一人の違いをよく見ることの大切さを言っているのでしょう。
教育も同じです。子供を理解するために、児童心理学や発達心理学等の学問が不要だというのではありません。ただ、教科書や参考書に書かれた記述をテスト用に暗記するだけで一人前の教員になったつもりになるのではなく、実際に目の前の子供を「とことん見る」ことを怠ってはならないということです。
頭でっかちな教員であった私の反省でもあります。