農業ジャーナリスト青山浩子氏が、『スマート農業がめざすもの』という表題でコラムを書かれていました。その中で青山氏は、『「環境制御技術に頼りすぎると、社員が作物を観察しなくなる」と警鐘を鳴らす高知県のピーマン農家もいる。若手育成のためこの生産者は、複数の施設のうち1棟では、環境制御技術を導入せず、社員自身が作物を観察し、状態に応じて温度や湿度を調整するよう指示している』と書かれていました。
つまり、AIやICTを活用することによって、安定した収穫が見込める反面、農業者、生産者としての技術の伝承が途絶えてしまうことを懸念する動きがあるということです。とても示唆に富んだ話だと思います。学校教育におけるAIやICTの活用を考える際にも忘れてはならない視点だと考えます。
20年以上前、学校にTT(ティーム・ティーチング)が導入されるようになりました。その際の基本的な形は、T1が授業を展開し、T2が個別に子供の支援に入るとされました。しかし私は、この形には欠点があると考えました。それは、T1担当となった教員には子供の反応を見取り、その意味するところを瞬時に察知するという機会が乏しくなり、見取り能力が衰えてしまうことと、T2担当となった教員には授業の全体像を構想しつつ限られた時間の中で授業を進める能力が衰えてしまう懸念があることです。
人間の能力は一定ではありません。使わなくなれば衰え、使い続けていけば維持向上が期待できるものです。教員にとって必要な2つの能力、全体の構想推進と個別の見取り、それがバランスよく身についてこそ良い教員なのですが、TTの導入は、その障害になるのではと考えたのです。ですから私は、当時、研修会の講師に呼ばれたとき、「TTで優れた指導力を発揮できる教員は、一人でも優れた指導ができる教員である」ということを繰り返し説いてきたのです。
それでも、TTは実際に目の前に「生の子供」が存在します。しかし、AIやICT活用の典型と考えられる遠隔授業では、そうした前提も崩れてしまいます。さらに、子供の学習状況の把握もAIによる分析に頼るようになれば、教員として必要な子供理解力が減衰していく可能性が高いと思われます。
大型台風が来襲し、停電したら授業ができなくなりました、などということが当然視されるような時代がきてはなりません。AI活用と教員の能力育成のちょうどよいバランス点を探ることが必要になると思います。