「ここにもいます」9月25日
書評欄に、『「山賊公務員の流儀」牧慎太郎著(時事通信社)』に対する日本総合研究所主席研究員藻谷浩介氏による書評が掲載されていました。同書は、『総務省のキャリア官僚の職務は独特だ。短い東京勤務を挟みつつ、自治体への2~3年間の出向を繰り返す』官僚生活を送られた牧氏が、若者に仕事のやりがいを伝えたくて書かれてものだそうです。
評者の藻谷氏は、こうした総務省キャリアと地域振興の場で多く出合い、その仕事ぶりを観察してきた経験の持ち主です。藻谷氏は、総務省キャリアのそうした仕事ぶりについて、『霞ヶ関との複雑な交渉や、地元の利害に縛られたプロパー職員にはやりにくい仕事を、出向先の自治体のための遂行するのが、彼らの任務なのだ。ただし、出過ぎずしかし埋没せずという距離感を、周囲との間に取れる有能さがなければ、現場では機能しない』と書かれていました。
私はこの記述を目にして、自分のことを振り返ってしまいました。私は都内某市の教育委員会に指導室長として派遣(出向)した経験があるからです。都教委の副参事(課長級)の身分のまま、某市の教委の管理職としての仕事を務めたわけです。スケールは違いますが、似ている部分があると感じたのです。
役所の職員も、議会の議員も、現場の校長や副校長も、知り合いが誰もいない余所者でした。任期が3年という部分も、都教委に知り合いがいて伝手があるという点も、それまでの利害関係者間の複雑な人間関係を知らないふりをしてことを進め、苦情が来ても「そういう事情があったのなら、事前にお聞かせ願えれば対応のしようもあったのですが。申し訳ありません。既に決定してしまったことなので」と無知を装って既成事実化してしまうやり方も、です。
指導室長の仕事は、藻谷氏が指摘なさっているように、「出過ぎずしかし埋没せずという距離感を、周囲との間に取れる」能力が求められました。難しい仕事です。しかしその一方で、いくつかの強みも感じました。ひとつは上司の勤務評定をあまり気にしなくてもよいことです。成績良好であろうがなかろうが、3年で市から異動していくのですから、自分の意見を強く打ち出すことが可能です。また、悪い意味ではなく、都教委という看板を生かし、「そんな対応では都教委の理解は得られません」と、筋の通らない反対意見をある程度抑える力があることです。さらに、人に恨まれることを恐れず、正論を貫けることです。恨みは異動の際に一人で背負って持っていけばよいのです。私も、赴任してすぐに、前任者への愚痴や悪口を聞かされました。前任者は有能な人でしたが、人には相性があります。必ず文句を言う人は出てきます。何年も務めるのであれば、職務に支障をきたさないため、人に嫌われないということに留意する必要がありますが、そのことに割くエネルギーをもっと建設的なことに使うことができるのです。
藻谷氏は、『過去のナンセンスな決定も代えられない日本の組織文化。その中にあって、結果を少しでも良い方向へ変えていく途は何か。志を曲げず、力や金に惹かれず。企画と調整のプロとして周囲を動かしていく、著者の仕事ぶりは痛快だ』と、総務省キャリアの自治体への出向という制度を肯定的に捉えていらっしゃいます。都の学校教育における指導室長派遣という制度もまた、意味のある仕組みだと思います。