「そんな気持ちわからない!」6月22日
精神科医香山リカ氏が、『コロナ収束後の光と闇』という表題でコラムを書かれていました。その中で香山氏は、『夜、仕事の帰りにバーや居酒屋の前を通り、中から灯りや笑い声がもれてくるとなんとなくホッとする』と書き、コロナ禍で灯りの消えた店が並ぶ光景に心細さを感じると述べていらっしゃいます。
そんな思いを学生に話したところ、学生からは『「おとなが深夜まで飲んでいたこれまでがおかしかった」「お酒はからだによくないし、健康的な生活にシフトすればよい」』という『真面目で、しかも前向き』な言葉が返ってきたそうです。香山氏は、こうした学生の反応に、『とても明るくて清潔な生き方だが、「それだけでいいのか」という気が消えない』とし、『人間の心にも人生にも、光もあれば闇もある(略)コロナの後には明るい世界が来てほしい。そう思いながらも、「でも暗さや闇も残しておいて」』と綴られていました。
私は、以前は大酒呑みでしたが、肝臓を傷め今ではアルコールを口にしません。付き合い酒や接待酒は、呑んでいたころから嫌いでした。元々教条主義的なところがあり、現在、個人的には、深夜まで酒飲み族には批判的な感覚です。そういう意味では、香山氏の教え子に近いかもしれません。
しかし、香山氏の教え子の発言には、とても強い違和感を覚えました。それは、人生や人間というものに対する洞察力のなさ、人間味の欠けるということに対する危機感のようなものです。
人は誰でも、全てにおいて順風満帆の人生を送ることはできません。たとえ子供であっても、様々な挫折を経験し、不安、怒り、自己嫌悪、嫉妬、切なさなどの感情を抱えて過ごした経験があるはずです。失恋や入試の失敗、レギュラーになれなかったことやいじめに遭うなど原因がはっきりとしている場合もあれば、将来への漠然とした不安感や友人と比較して自分が小さく感じられるときなど、心の底に隠れていた思いが突然浮かび上がることもあるはずです。
そんなとき、「過去は変えられないのだから、これからどうするかを考えよう」という前向きなアドバイスを受けると、それが正しいことが分かっているだけに、反発もできずかえって傷つき落ち込むというような経験もしてきているはずです。私は成長の遅い鈍感な子供であり、一人で過ごすことが好きな社会性の乏しい若者ではありましたが、それでもやはり、後ろ向きになり、じっと水底に沈んでいたいような気分が続いた日々がありました。だからこそ、香山氏が言う社会の中に「暗さや闇」に浸ることができる場所が必要だと思うのです。
もしかしたら、香山氏の教え子たちは、後ろ向きの気持ちを抱えた経験がない「幸福な人」たちなのかもしれません。それならそれで羨ましいことですが、もう大学生です。子供ではないのです。自分が経験していないことは分からない、で済ませてよいとは思えません。
私は前述したとおり、人間関係を築くのが苦手な社会性の乏しい人間ではありましたが、ときとして闇や暗さを必要とする人間の性については理解しているつもりです。それは、読書に負うところが大でした。本に描かれる様々な登場人物の人生、老若男女、金持ちと貧乏人、現代人と昔の人、日本人と外国人、それぞれの違いを超え人間として共通する痛みや悲しみ、そんな心情があることを多くの「物語」を通じて感じ取ることができたと考えています。
もし、香山氏の教え子のような若者が増えているのだとすれば、それは自分が経験していないこと、自分とは違う人たちのことは分からないし、分からなくてもいいと考える人たちが増えていくという未来を暗示しているような気がします。そんな社会はとても非寛容な分断された住みにくいものであると思います。
そんな未来を避けるために思いつく処方箋は、読書です。文学の力で人を、人生を理解させることです。しかし、今学校教育は、文学を遠ざける方向での国語教育の見直しが進められています。それは大きな問題なのではないかと思います。