「効率の罠」1月23日
筑波大教授で客員編集委員の鴨志田公男氏が、『三つの無とキリンの首の骨』という表題でコラムを書かれていました。その中で鴨志田氏は、若き解剖学者郡司芽久氏を取り上げていらっしゃいます。郡司氏が、『主な研究対象としてきたのはキリンの首』で、『その研究は、何の役に立つのですか?』と何度も言われたそうです。『幼い頃からキリンが好きだった』という郡司氏が発見したのが『キリンには「8番目の首の骨」があるということ』で、それだけを聞くと、それこそ何の役に?と思ってしまいますが、『従来の常識を覆す大発見』なのだそうです。
詳細は省きますが、『郡司さんのもとには現在、異分野からの問い合わせや共同研究への参加依頼が相次いでいる』とのことで、その一つが『ソフトロボット学』なのです。キリンの首の仕組みをロボット開発に生かしたいということなのです。鴨志田氏は、『「何の役に立つか」にとらわれすぎると、大発見の芽を摘むことになる』とコラムを結んでいらっしゃいます。
先頃、大学入試改革の2本柱である英語試験の民間委託と国語と数学における記述式試験が延期されました。この失敗については様々な意見がありますが、経済界からの即戦力育成という要請を受けて改革を急いだことが根底にあるということが共通認識になっています。それは、郡司氏の「キリンの首の骨」のエピソードとは対極にある考え方です。
ある目的に向かって、最も効率的であると思われるただ一つの道を脇目もふらずに突き進む、という組織やシステムは、実は大変脆いのではないかと思います。近年注目されている考え方に「生物多様性」があります。これは、多様な遺伝子、性質をもったものが存在することで、ある危機的状態が発生したときに全滅を免れるものが出てくるのに対し、均一的同質な集団では、全てが滅んでしまう危険性があるという論理で、その重要性が説明されます。これもある意味、一見すると無駄に見えるものが実は重要な意味をもつ、ということを示しているように思えます。
学校教育においても、一見すると無駄なもの、価値があるか分からないものに、子供が自らの興味関心に基づいてじっくりと取り組む、そんな時間と場を用意することが必要になってくるのではないでしょうか。そうした発想に基づいて設けられたのが、生活科であり、「総合的な学習の時間」であったのです。今、これらの時間は、英語やプログラミング教育といった新たな教育課題のために見直し、削減の方向にあります。もったいないと思うのは私だけでしょうか。