ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

私は早く帰る

2020-11-04 09:05:09 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「管理職の配慮」11月1日
 日曜日の連載企画サラリーマン川柳欄に、出世したい氏の『お疲れさま!定時上りはいつもボス』という句が掲載されました。仕事が溜まっているのに自分だけ先に帰りやがって、という部下の上司に対する憤りが伝わってきます。しかし私は、この心情に共感できないのです。
 私が指導主事になったとき、指導主事の世界は完全な階級社会でした。上司である指導室長や先輩の指導主事が仕事しているにもかかわらず、新米の自分が先に退勤するなどということはとてもできない雰囲気でした。そればかりでなく、室長や先輩が、「ちょっと飲んで帰るか」と口にすれば、「はい、お供します」と言って、すぐに席を立たなければならないのが当然視されていました。そして、飲みに行けば、たとえ終電時刻が迫っていても、室長や先輩が帰ると言わない限り、席を立つことはできませんでした。自宅に電話を入れることもできません。深夜に帰ると、夕飯が冷えたまま置かれているのを見て、申し訳ない気持ちと情けない気持ちを味わったものでした。
 ですから、指導主事1年目のときには、今日は用があるからといって、室長や先任指導主事(一番先輩の指導主事)が定時で退勤すると、嬉しくて顔が綻ぶのを抑えるのに苦労したものでした。つまり、「お疲れ様」と定時で上がる上司に憤りを覚えることなど皆無で、むしろ大歓迎だったのです。
 まあ私の個人的な思い出はともかく、私は、管理職は自分の行動が部下にどういう影響を与えるか、常に考えて行動する配慮が必要だという思いを強くもっています。私は室長や統括指導主事時代に、部屋で一番早く出勤していました。それは静かな中で済ませておきたい仕事があったからです。しかし、そのことを部下が気にしてはいけないと思い、「校長をしているつれあいと一緒に家を出なくてはならないから」と言い、「校長先生って忙しいんだね」と口癖のように言っていました。
 また、その分、早く退勤することを心掛けていました。私が居残っているために、帰宅できない部下がいないようにです。どうしても遅くなる日は、「室長会の仕事で」「社会科の原稿を頼まれていて」などと個人的な仕事で残るということを強調するようにしていました。
 私が常々お手本としていた目賀田先生は、教員時代に、いつも暇そうに教員室にいるように心がけていました。そうすることで教員が気楽に話しかけてくるようになり、様々な情報が入って来やすくなること、本当に困っている教員が相談しやすくなることを意図しての行動でした。もちろん、誰の目もないときには、猛烈なスピードで事務をこなしていたのですが。これも、管理職としての職責を意識した意図的な行動です。
 言葉ではなく、行動で職員に見せる、動かす、職場の雰囲気を作る、それも校長や副校長といった学校管理職の望ましい姿です。

 

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