ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

自己保身、責任逃れの卑怯者

2020-11-26 08:47:20 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「卑怯者」11月21日
 『知事の中立 差別助長』という見出しの記事が掲載されました。朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員長宮川康彦弁護士へのインタビュー記事です。記事は、『関東大震災後の朝鮮人虐殺に心を痛め「過ちは二度と起こさない」と誓う人たちがいる。それに対し、同じ場所で「(虐殺の)犯人は不逞朝鮮人」と全く逆の主張を繰り返した人たちがいる。後者の発言を東京都はヘイトスピーチと認定したが、都は双方に誓約書提出を求めるなど、まるで「けんか両成敗」のようだ。中立とは何だろう』という疑問について考えようとするものです。
 その中で宮川氏は、『行政の公正・中立の点で大きな問題です(略)私たちとそんな主張をする団体を同一に扱うのは中立ではなく、彼らに手を貸すものにほかなりません』『米国などで差別を否定しないことは差別への加担と見なされる風潮がありますが、知事は中立ではなく、一方に積極的に加担した』と語っていらっしゃいます。
 私は、宮川氏の立場に賛同するものですが、ここでは朝鮮人虐殺問題については触れません。ただ、見かけ上の中立が実は一方への加担であるという点について述べたいと思います。実は私がこの記事で一番反応したのは「喧嘩両成敗」ということばでした。学校現場でもこの言葉が誤って使われることがあるからです。それは、いじめ対応においてです。
 いじめ問題についての知識が不足し、指導力のない教員が侵しがちな過ちとして多いのが、「A(被害者)さんにもB(加害者)にも、問題があった。2人とも同じクラスの仲間なのだから、お互いに謝り、握手して仲直りしよう」というような表面的な対応をして問題が解決したとしてしまうことです。
 人間は完全な存在ではないのですから、誰でも何らかの問題行動はあります。しかし例えば、たまたま一度友達との会話に夢中になっていてBさんが呼んでいるのに気がつかなかったというAさんの「過失」と、そのことを根に持ち仲間を集めて一週間にわたって休み時間も、清掃時間も、給食の時間もAさんを無視し続けたというBさんの行為とを同一の「問題」として「喧嘩両成敗」するのは、Bさんのいじめに加担した不公正な行為です。 しかし、今でもこうした対応をしてしまう教員がいるのです。さらに、一教員の不適切な指導というレベルではなく、教委や校長といった立場の人間が、表面的な「喧嘩両成敗」論で、自分を公平な裁定者の位置に置き、責任逃れをするケースさえ散見されるのです。
 真実、人権というような普遍的な価値において、明らかな誤りに過剰な配慮をし、表面的な中立を装うことは、最も恥ずべきことです。全ての学校関係者が、教育者においては特に許されない行為であることを肝に銘じる必要があります。

 

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