ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

便利になってもそれだけでは

2018-02-09 08:21:55 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「暗記の反対は」1月30日
 『ICTで脱・暗記型教育』という見出しの特集記事が掲載されました。記事によると、『パソコンやスマートフォンを学校現場にも導入し、インターネットやソーシャル・ネットワーキング・サービスも駆使。従来の暗記型教育から脱して、「主体的・対話的で深い学び」を重視する教育に活用』ということだそうです。重要な取り組みです。しかし、この記事、いわゆる羊頭狗肉の感を抱かざるを得ない内容なのです。
 それは、記事で紹介される事例の内容が、『児童がタブレット端末を使って自宅で予習する「反転学習」』(小学校)であったり、『国語や社会、道徳など、自分の考えを発表してクラスで共有して、さらに議論を広げる』(小学校)『通信システムを介して生徒がスマホに打ち込んだ意見や提案を大型プロジェクターに転写し、それを題材に教師が授業を展開していく』(高校)というようなものだからです。
 どこが「脱・暗記型学習」なのでしょうか。学習に於いて、記憶する。覚えるという行為は不可欠です。誰もそれは否定しないでしょう。暗記型教育が非難されるのは、知識を身に着けさせることそのものが悪いということではなく、学習者が、その必要性を感じることなしに、外部からの強制力によって、その意味も価値の自覚できないままある事柄を覚え込まされるという点にあります。そうした学習を続ければ、考える力や習慣は身に付きませんし、批判的に見る精神や問題解決能力や創造性を育むことはできないからです。
 暗記型学習という概念の対極にあるものは、問題解決型学習です。それも、理想を言うならば、教員に与えられた問題ではなく、子供自らが発見した、あるいは創り上げた問題を解決するということです。こうした学習が実現するためには、子供が興味関心をもち、疑問や矛盾を感じ、その疑問や矛盾を何とか解決したいという気持ちを抱き、なおかつその疑問や矛盾を解決できそうだという見通しをもつことができるといった事象を見つけ出し効果的に提示する教員の働きが欠かせません。
 しかし、記事で紹介されている事例には、そうしたことに関する記述はありません。単に、便利な教具を活用しているというだけに過ぎません。もし、教具が便利になれば、授業の脱暗記型が進むというのであれば、黒板が導入されたとき、脱暗記型が進んだはずです。多彩な色彩を使うことができ、書いた事項の一部を残したまま消して別のことを書き加えることができる、という機能はその時点では画期的なものだったはずですから。しかしそうはならなかったのです。
 脱暗記型学習は、それに相応しい学習過程を設定し、教材を開発し、学習の狙いと子供の実態を勘案しながら適切な示唆や助言ができる教員の能力が必須なのです。それなしに、いくら教具の改良が進んでも、脱暗記型学習は実現することはないのです。今までとは違う、何だか新しいイメージの外観をもった授業が増えるというだけです。
 授業というもの、学びというものに果たす指導者の役割というものについての理解を欠いた記事には失望しかありません。

 

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1 コメント

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御礼 (ivie_left)
2018-02-11 05:40:37
楽しく、興味深く 拝見しました。
これからも、楽しみにしております。

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