ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

子供への敬意

2020-11-05 08:15:28 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「敬意」11月2日
 写真家齋藤陽道氏が、『怠けず見て、考える』という表題でコラムを書かれていました。その中で齋藤氏は、4歳の長男がお菓子を「もう一個」食べたいと言ってきて、食べ過ぎだからだめだと断ったときのことを書かれています。
 『ぶすっとした表情の長男。けれど、そう言った直後、幼年期に感じていた感情を思い出した。表面的には「お菓子が食べたい」という可愛らしい不満だけど、根本には「自分で考えて決めることができるのに、まるで信頼されていない」という不信感につながっている。この不信感をそのままこじらせると、隠れて食べるようになったり、嘘を言ったりする始まりになる』。
 そう考えた齋藤氏は、『ごめん、やっぱり食べたい分を取っていいよ。でも甘いものを食べすぎると、歯が真っ黒(少し前にエグい虫歯の写真を見た)になるね。自分で考えて我慢もしてみて』と伝え直したのです。
  いろいろと考えさせてくれる話です。隠れて食べるというのも生活の知恵を身に着けるという成長の一歩と考える人もいるでしょうし、嘘をつくことも道徳的にはともかく人が必ず通らなければならない成長の過程です。また、甘い物の食べすぎは、虫歯よりも小児成人病が気になるという突っ込みを入れる人もいるかもしれません。
 齋藤氏は、ご自身が最初にダメと言ったことを、『ルールにただ従わせて、子どもの人格を見ることを怠けたかっただけだったんだ』と自省をなさっています。素晴らしい考え方です。私も教員になりたてのころ、子供に「どうしてダメなの」と聞かれ、「ダメなものはダメ」とか「決まりだから」「前に言ったでしょ」などという対応をしていたことを思い出し、恥ずかしい思いがしました。その都度、きちんと理由を説明し子供の疑問に答え、子供自身の考えさせる、教員であれ、親であれ、子供と接する大人が常に心掛けていたい態度です。
 ではなぜ、教育の専門家ではない齋藤氏は、こんな対応ができたのか。そして教員駆け出し時代の私にはできなかったのか考えてみて、一つのことに思い当たりました。それは、子供への敬意、最近よく使われる言い方でいうところの「リスペクト」です。
 齋藤氏は、4歳の長男も自分も同じ人間であり、自分の行動は自分で決めたい、自分の判断を信頼してほしいという欲求をもつ存在であると認識しています。子供を大人とは違う未熟な者、劣っている者、大人の支配下にあるべき者とみているのではなく、自分と同じ感情や思考力をもつ「人間」として、敬意を払っているのです。
 私たちは、他の成人に対して、一方的に指示や命令を出したり、問答無用で従わせようとはしません。理由を話したり、経緯を説明したり、自分の思いを伝えたりするはずです。子供も同じ人間だと考えているからこそ、齋藤氏は、自分が長男の健康を心配している気持ちと虫歯のことを具体的な事実を提示して伝え、その上で長男の判断を尊重するという態度をとることができたのではないでしょうか。
  教員は、目の前にいる子供たちに対して敬意をもっていなければなりません。

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