「学校サイエンス」12月22日
論説委員鴨志田公男氏が、『福島の実像を知るには』という表題でコラムを書かれていました。その中で鴨志田氏は、『いわき市出身の社会学者、開沼博・立命館大准教授と懇談する機会があり、福島県の現状についての認識不足を痛感した。開沼さんから「福島を知るための15の問」を出題され、回答に四苦八苦したからだ』と書かれています。
15の問の内容は、2011年の福島の米の生産高は47都道府県中何位?、年間100万袋生産される福島県産米の中で放射線量の法定基準値を超えたのは何袋?2014年福島県の有効求人倍率は47都道府県中何位?などです。
鴨志田氏は、6割程度の正解率だったようですが、福島を取材している新聞社の人間でも全問正解ではないことをもって、認識不足と反省しているのです。ちなみに私は4割でした。
そしてコラムの後半では、『開沼さんが「福島」をを伝える上で重視しているのが、データと理論で物事を整理し、ローコンテクスト化するということだ。ローコンテクストとは、前提知識などがなくても理解できるということで、先ほどの「15問」もローコンテクスト化の一つである』と、ローコンテクスト化の意義を強調しているのです。
学校教育においても、ローコンテクスト化は有効だと思います。もちろん、15問では足りないでしょうが、20問程度の初級版、50問の中級版、100問の上級版などを作成し、議論の前に関係者に回答させるようにするのです。
私は以前、テレビ朝日の「朝まで生討論」に出演したことがあります。大変貴重な経験でしたが、参加者の基礎知識に大きな差や偏りがあり、議論が空回りしたり、本筋と関係のない確認や訂正に時間をとられたりして歯がゆい思いをしました。与野党の国会議員、日教組委員長、現職教員、社会評論家などそれなりの論客が揃っていたのですが、議論が深まらなかったのです。もし、このとき、事前に簡易版のローコンテクストによる認識深化が図られていれば、と今になって思います。
では、学校境域における「100問」はどのような内容になるのでしょうか。私も考えてみたのですが、浮かびませんでした。私にとってこれは常識だろうと考えていることが他の人にとってはどうなのか、私が知らないことでも学者や政治家、官僚にとっては共通理解されていることもあるはずだ、と考えると前に進まないのです。
本当に役に立つローコンテクストとなる「○○問」を作るためには、様々な立場の人間が集まり、お互いの常識を開示し合い、一つ一つ検討していく作業が必要だと考えます。どこかで行われているのでしょうか。できれば、小学校編、中学校編、高校編、大学編、教育委員会編などに分けて作成するのもよいと思うのですが。