「ハードルは高い」10月25日
兵庫教育大大学院講師永田夏来氏が、『「風潮」を乗り越えろ』という表題でコラムを書かれていました。その中で、家族研究を専門とする永田氏は、『恋愛、結婚、出産はカップルの合意や個人の選択が集積された結果だ』と指摘し、『最近のライフコースはバリエーションを見せ始めて』いると述べ、そうした変化に応じた意識改革が必要だと主張していらっしゃいます。
永田氏は、「バリエーション」の具体例として、『シェアハウスのメンバーで育児を分担しながら暮らす夫婦、非婚で子育てするシングルマザー、パートナーの連れ子と仲良く暮らす再婚家庭』などを挙げています。確かに男女が恋愛(見合いや結婚相談所での出会いを経て、を含む)して結婚し、二人の間に生まれた子供を育てる、という「標準家庭」だけを想定した社会システムは時代遅れなのかもしれません。
今後さらに生殖科学が進展すれば、同姓婚の夫婦間に他者の精子もしくは卵子提供を受けて生まれた子供という家族なども増え、家族の形の多様化は一層進むことでしょう。確かに意識改革が必要なのかもしれません。しかし、学校教育はそうした対応が進んでいないように思えるのです。
学校の保護者会や授業参観、家庭訪問などは、いわゆる「標準家庭」を想定して設定されています。家庭訪問したとき、血縁関係のある親はおらず、その日たまたま時間があって「家」にいたシェアハウスのメンバーが対応するというような事態は想定していないはずです。各自の家庭での経験を基に、男女の性別役割分担の問題点について話し合うという授業をするとき、ゲイカップルの間の子供にどう配慮するかということについて、教員間のコンセンサスはないでしょう。イスラム教徒の外国人の子供が転校してきて、兄は第一夫人の子供で、自分は第二夫人の子、妹は第三夫人の子で、みんな一緒に暮らしていると聞かされたとき、とまどってしまう教員がほとんどでしょう。
まあ、あまり極端な例をひねり出すこともないのですが、教員の意識改革を進めると共に、家族の多様化への対応という視点で学校行事や家庭との連携、様々な文書の内容と形式などを見直すことに、教委は指導性を発揮するべきだと思います。柔らか頭が求められているのです。