ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

GOTOをやめない本音はよく分かる

2020-11-29 08:37:32 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「言葉で?」11月24日
 読者投稿欄に、中野区のK氏による『愛を言葉で伝えよう』と題された投稿が掲載されました。その中でK氏は、『親から愛されているのか不安だった』小学生のときの思い出を綴られています。『ある夜、家の近所に救急車が止まった。すると、仕事から帰ってきたばかりの母が駆け足でやってきて「交通事故にでもあったかと思った」と息を切らしながら私を抱きかかえたのだ。その時、初めて愛されていると確信を持ち、ホッとしたことを覚えている』と。そのときのK氏の安堵感、幸福感が察せられます。よかったですね、と言いたい思いです。
 この体験を基にK氏は、『私がそうだったように、家族への愛は言葉にしないと伝わらない。不安な時代だからこそ、感謝の気持ちや愛を言葉にして伝えよう』と書かれています。えっ、そう繋がっていくの?ひねくれ者の私は、違和感を覚えてしまいました。
 私流の解釈では、K氏に愛されているという確信をもたらしたのは、母の言葉もそうでしょうが、駆け足でやってきたこと、しかも息を切らして急いで来たこと、抱きかかえてくれたこと、そして書かれてはいませんがそのときの母の鼓動や体の温かさ、そういったもの、母の「言葉」よりも母の「行動」だったのではないかと思うのです。
 人は自分の思いや感情を様々な形で伝えます。そして人の真情、真意は言葉よりも行動に現れると言われます。言葉で嘘をつくことは容易ですが、天才的な詐欺師でもない限り、態度や行動でも嘘をつくことは容易ではありません。ですから、「愛してるよ」といくら言われてもそれだけで相手の愛情を信じることができないのです。
 K氏ももっと幼いころ、「ママ、私のこと好き?」などと尋ねたことがあったはずです。そして母の「もちろん、亜美ちゃんのこと大好きよ」と笑顔で答えてくれたことでしょう。それでも、心の底から信じることができずに不安だったのだと思います。その不安を解消してくれたのは、息を切らしてかけてきたという行動、抱きしめるという行動だったのだろ考えるのです。
 教員が教え子に抱く感情は、親のような愛情には及びません。それは仕方がありません。でも、相手を対等な人間として尊んでいる、相手のことを思っている、信頼している、そうした感情を子供に伝えることができなければ、授業も生活指導も教育相談もうまくはいきません。そしてそれは言葉だけでは不可能なのです。自分は、態度で、行動で子供に思いを伝えることができているか、じっくりと自省してみることが必要です。
 国民の命を守ると言いながら、GOTOは絶対に止めないという態度で本音を見抜かれる誰かさんのように、子供のことなど本音ではどうでもよいと思っているというのなら、そもそも問題外ですが。

 

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